承前:
市民資本と宗教改革といえば、おそらくピューリタン(清教徒)革命が思い出されるだろう。ピューリタン革命ではチャールズ1世が斬首されたが、その後10年で王政復古がなされて、それではさてピューリタン革命とは何だったのか?、ということになる。
日本でも一向一揆は、ほとんど歴史から外されている。天下の名城とされる大阪城も一向衆の根拠地(大阪御坊=石山本願寺)で、金沢城(尾山御坊)もそうだ。ところが人びとは、戦国時代以降のことしか語らない。
両城の一向衆を攻撃したのは、織田信長。信長は一向衆との戦いで、運を使い果たした感がある。
それはさておき、ジェントリ(資本を蓄積した地主層)の一部がピューリタンになり、政治権力(王政)に正面からぶつかる原動力になった、
という構図は、一向一揆の背景に「国人」がおり、有力国人の一向衆(一向一揆の場合は浄土宗本願寺派)が原動力になったということと類似している。
※国人とは中世の概念だが、古代に照らせば郡司などに相当するのだろうか。もっと古い概念でいえば国津神か。
ー続く