承前:
世阿弥「一調二機三声」/機といふハ万事に有事なり。今こゝにて云ときハ、声をいまた出さぬ時、何程の調子しかるへからんと、分別のわかたぬ所をさして機といふなり。機をよくさだめてはなつときハ、其音声にあたらすと云事なかるへし。然れハ声ハこれ三段めの事なり(「機」ということは何事にもあるものだが、今ここで私が言っているのは、どのくらいの音程が相応しいか心が定まらない時を「機」と言うのだ。「機」をのがさず音声を出せば、決して間違わない。だから「声」は第三段階のことだ)/世阿弥「花鏡」/誤訳ある見込) つまり、「声」にこだわるあまり、発声の「機」を逃せば失敗し、「調子」の基礎に存在する「機」をとらえて発声すれば誤らない。/世阿弥「花鏡」/誤訳ある見込)

世阿弥「一調二機三声」/「調子ハ其時其位の調子によろし。いつにても調子ハ機が持事にて御座候(音の高さはその時の状況や曲に定められたものが良い。常に「調」は「機」によって支配されている」/世阿弥「花鏡」/誤訳ある見込) つまり、「調」と「声」を結ぶ要が「機」なのだ。「機」を素直に訳すと「タイミング」なのだろうから、わかりやすいのだが、能楽のプロにとっては却って難しい概念のようだ。
承前:
世阿弥「此事よく〳〵心得ずしてハ、かつてんのまいらぬ物なり。別義ハなし。たゝ音曲の時、声出しやうの格なり。第一調、第二機、第三声なり」(このことをよくよく心得なければ到達できないものだ。特にそれ以上の意味はない。ただ音曲の際の声の出し方のおもむきだ。第一調、第二機、第三声だ)「世阿弥「花鏡」/誤訳ある見込) どうやら後世の専門家もこの意味がわからず苦心したようだ。
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