敏達天皇(推古天皇の夫・聖徳太子の妃の父)のころ、こんな逸話が記されている。


天皇が受けた高麗の国書を翻訳させた

多数の書記官が3日かかっても読めなかった

在野の王辰爾がたちまち解読したので、喜んだ天皇は殿内に招聘した


伝説の王仁(和邇)氏は、この時より200年も前の人物とされているが、


(大陸からやってきた)楽浪郡の人物

(大陸からやってきた)辰韓の人物


など諸説あり、実在しないという考えもある。


しかし、楽浪郡や辰韓の滅亡後、王氏が最新の大陸知識を携えて、列島にやってきた、と考えるのは自然だ。


王氏の住む村が、大和か河内にあり、中国語ネイティブを保存していて、宮中の書記官はそれを知っていて翻訳を依頼した。


そこで急に思い出したことは、空海のことで、讃岐出身の無名の空海が、なぜ遣唐使に抜擢されたかというと、漢文が達者というレベルではなく、中国語を解したからという説がある。


隋の使節・裴世清が通り過ぎた「秦人国」のような場所が、西国にはあちこちにあったのではないか。


【写真】SUMMILUX 1:1.4/50 LEIZ WETZLAR/春の花ばな/OLYMPUS PEN-F

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# by kugayama2005 | 2019-05-22 07:01 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

おそらく西域から移動し、さらに半島に辰韓を割譲してもらった秦人は、その後、百済・新羅間で圧迫されて辰韓も消滅、列島に渡った。


秦人の列島移住と、鉄関連事業の国産化をプロデュースしたのは、スサノオ系の実業家とムナカタなどの海人だろう。


一方、「神武天皇の母は、父の育ての母であり、父の産みの母は、実はサメだった」という、サメはワニであり、和邇は王氏であるとすれば、


◾️製鉄技術を秦氏から得て、文字文化を王氏から得た


と考えられる。


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# by kugayama2005 | 2019-05-21 11:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️さて「人となりは中華と同じ」という秦王国とは?


私的妄想として、


  聖山から追放されたスサノオが、娘をムナカタ神としたり、出雲や安芸の大蛇退治や、オオナムチ(大国主)と関連づけられているのは、


◾️半島・大陸貿易

    →辰韓(後に百済に併合)の秦人との鉄貿易

◾️鉄関連事業の国産化


に伴っている。北九州、吉備、出雲などに古代製鉄遺跡がある。


おそらく、隋の裴世清が目撃した秦王国とは、吉備であろう。


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# by kugayama2005 | 2019-05-19 00:01 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

隋の使者・裴世清らが見聞したことが元になっていると思われる、隋書倭国伝には、注目すべき点が多い。特に、日本書紀の記述と合わせて考えれば、裴世清は畿内ヤマトに来ている。(隋書は唐時代に書かれているから、後の遣唐使が隋書を収集し、隋書に合わせて日本書紀を潤色したかもしれない疑念は残るが)


比較をすれば、魏志倭人伝のいうヤマト国(邪馬台国)は、明らかに九州ヤマト国と感じるが、それはさておき、


◾️(筑紫から)又東至秦王國  其人同於華夏  以為夷洲疑不能明也


と裴世清らは言う、つまり「筑紫からさらに東に行くと秦王国である。人となりは中華と同じで、なぜ夷(野蛮人)とするのかよくわからない」と。


その先、隋書では、「十数国を経て海の岸に至る」として、日本書紀では難波津から都に入ったと書かれている。


さて「人となりは中華と同じ」という秦王国とは何か?


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# by kugayama2005 | 2019-05-18 05:30 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️小野妹子、煬帝の返書を紛失


もちろん嘘だろう。おそらく、答えられない内容だったのだろう。例えば、


◾️即刻、隋帝国の臣下となるため、「オオキミ」を隋に派遣せよ、等と無理なことが書いてあった

◾️隋は「オオキミ」を男と理解していたので、推古女帝に対して失礼な内容になっていた

◾️元々返書は裴世清が持参していたので、小野妹子は何も持たされなかった


筑紫に着いた小野妹子は、都に急行。煬帝の返書を見た聖徳太子は、それを葬り去ることにした(のではないか)。


小野妹子に群臣は激昂したが、推古天皇は、「軽々に罰してはならない。客人(裴世清)への聞こえもわるい」として赦した。


裴世清は、日本の官人たちが冠位十二階に従って色分けされた服を着て、金銀の花模様が散らされている様を細かく観察し、その制度が最近創設されたこともよく知っていた。おそらく付ききりで接待した中臣氏などが、熱心に説明したのだろう。


(日本書紀によると)裴世清は推古天皇にも、聖徳太子にも会ってはいないが、特別に天皇のお言葉を賜っている。推古天皇の言葉は、倭国国書の「日出處天子」に対応しており、「国書紛失疑惑を裴世清には気づかれなかった」という入念な演出(ないしは創作)ではないかと思う。


隋書では「其王與淸相見大悦」として、倭王(推古天皇か聖徳太子?)が清=裴世清にあって大喜びしたとある。隋書の描写は信頼できる面が多いようだが、肝心の倭王については具体性がない。推古天皇であれば、女帝の印象は強いだろう。「相見大悦」とはいかにも形式的で、不自然だ。


さて、裴世清の帰国に随行して、小野妹子が再び遣隋使となって渡海するのだから、外交とは徹底的にしつこいものなのだ。これらの経験は、その後あっけなく隋が倒れて唐の時代になって、大いに生かされた(はず)。


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# by kugayama2005 | 2019-05-17 09:41 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

さて、


小野妹子が帰路、百済で煬帝の返書を紛失した、ということ


は、おそらく返書の内容が公にできないものだった、という推理は多いらしい。


帰国する小野妹子には、隋の使者・裴世清が同行しているので、下手なことはできない。送使を伴って帰国するのは珍しくことではないが、この場合は送り狼よろしく、目をつけられていたのだろう。


煬帝としては、倭国のオオキミが何者なのか、乗り込んで確認しなければ騙されるかもしれない、と疑心暗鬼だ。当時、煬帝は大運河の建設によって統一帝国を目指し、後には高句麗を何度も攻撃して、東方への帝国拡張も図った。その更に東方海上にある、倭国の実像をいち早くつかんでおく必要があった。


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# by kugayama2005 | 2019-05-16 15:41 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

承前、


◾️小野妹子が「日本の統治者を「アマタリシヒコ・オオキミ」と述べた」


これは隋書によると、倭国の王について問われた使節(小野妹子?)は、


「王の姓は阿毎(アマ)、名は多利思北孤(タリシヒコ)、號は阿輩雞彌(アハケミ)」と答えた。


アマ+タリシヒコ=天より降りた男子

アハケミ=オオキミ(当時の発音はアフケミに近かった?)


と解釈すると、オオキミ(天皇は女帝推古)が「彦」なのはおかしい。だから、これは聖徳太子のことを言ったのだ、とか、北九州の使節が勝手にアマ+タリシヒコ=オオキミ説を隋に持ち込んだのだ、とか妄想が広がるのだ。


そこで私も不安になって、「日本古代の王統と王権(篠川 賢)」を読んでいたら、この部分は、


「阿毎(アマ)、多利思北孤(タリシヒコ)、阿輩雞彌(アハケミ)」は、「一般的な王統のあり方について述べた部分」と説かれていたので、さっそく降参しました (笑。


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# by kugayama2005 | 2019-05-15 23:27 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

遣隋使が持参し、隋の煬帝がその内容に怒った倭国国書の「日出處天子」を聖徳太子だとすると、倭国の皇太子が、隋の皇帝に親しげに語りかけたことになり、煬帝の怒りはごもっともと言うしかない。


これに関して小野妹子側には、2つの妙な点がある。


  日本の統治者を「アマタリシヒコ・オオキミ」と述べたこと


日本側の記録にある遣隋使は3回だが、中国側の史料には倭国からの使節来訪は、煬帝記に2回、倭国伝に2回。九州ヤマト国の使節が別にあり、「アマタリシヒコ」を王と言ったとの説もある。

小野妹子が自己紹介で「アマタリシヒコ」と言ったのを、隋側が誤って大王の名とした?


小野妹子が帰路、百済で煬帝の返書を紛失した、ということ


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# by kugayama2005 | 2019-05-15 02:25 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

有名な「日出處天子致書日没處天子無恙云云」(日の出でる所の天子、日の没する所の天子に書を致す、つつがなきや、しかじか)は、小野妹子1回目の遣隋使の時のことと言われている。


実は、隋は初代皇帝は文帝だが、遣隋使の時は、文帝はすでに亡くなり、皇帝は息子の煬帝になっていた。それを日本側は知らなかったので、賢帝といわれる文帝を必要以上に称揚する表現になってしまい、煬帝は父へのコンプレックスも手伝って、激怒したのではないか。


しかし、それとは別に、「日出處天子」を聖徳太子だとすると、それでは推古天皇とは何だったのかということになる。


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# by kugayama2005 | 2019-05-14 00:11 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)<574622>が送った遣隋使のころの隋書に、倭国の王の名は、阿毎多利思北孤と書いてある。


阿毎(アマ)が姓で、多利思北孤が名だという。多利思北孤は誤記で、多利思比孤だというのが通説。アマ+タリシヒコだ。


隋の役人は、姓があって名があると思うからそう書いたのであって、実はアマタリシヒコが名前なのだろう。


アマタリシヒコは天孫の意味と解釈する人もいるらしいが、私的妄想では、これは天足彦(アメタラシヒコ)だ。実は、遣隋使・小野妹子の一族は天足彦(アメタラシヒコ)で、おそらくニギハヤヒ系だろう。


おそらく小野妹子は、「オオキミ(推古天皇)によって派遣された天足彦(アメタラシヒコ)」と自称し、隋の役人はそれを記録した。


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# by kugayama2005 | 2019-05-13 17:13 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

物部は天皇の臣下になったカツラギ(葛城)一族、葛城・蘇我は臣下にならず王として天皇と並存(あるいは同化)したカツラギ(葛城)一族と考えると、すっきりした妄想になる。


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# by kugayama2005 | 2019-05-12 03:40 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

聖徳太子を含む蘇我系が、もしカツラギ(葛城)一族だとすると、何やら妄想が一巡するのだ。


カツラギ(葛城)一族の祖がニギハヤヒだとすると、彼らは神武の東遷以前に、快速船アマのイワフネ(天磐船)に乗って、玄界灘から瀬戸内海を縦横に疾駆していたはずだ。


物部氏は、ニギハヤヒを祖と自認しているが、自ら神武の家臣になった。カツラギ(葛城)は、神武の臣下にはならなかったニギハヤヒ一族なのではないか。


臣下にならなかったナガスネヒコも、その1グループだろう。


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# by kugayama2005 | 2019-05-11 14:55 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)<574622>の時代は、本格的な宗教戦争の時代。


聖徳太子を含む蘇我系は、おそらく、カツラギ(葛城)一族ではないかと思う。


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# by kugayama2005 | 2019-05-10 15:09 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)が、推古天皇の皇太子になったのが592年。この前年、崇峻天皇の(蘇我馬子による)暗殺事件が起こった。推古天皇はその後を受けた、初の女帝だ。


日本書紀は、崇峻天皇暗殺について、「(蘇我馬子は崇峻天皇を)しいせたてまつった」、「(天皇は)蘇我馬子によりしいせられ、空位となった」等と、淡白な書きぶりだ。


この時代は、蘇我馬子が実質的な政治主体だったし、その後、宮中での蘇我入鹿謀殺までの間は、実質「蘇我時代」とも言うべきだろう。聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)が皇太子に登用されたのも、もちろん蘇我系だからだ。


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# by kugayama2005 | 2019-05-09 09:34 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

2019日記【126】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 46


聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)の時代は、国際情勢が大きく転換しており、その遠因は隋の成立にあった。


581604  隋の文帝  在位

604618  隋の煬帝  在位


煬帝は569年生まれで、574年生まれの聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)とは同世代と言える。


なお、隋の中国統一以前は、おなじみの三国志(220280)の時代を含む王朝並立と争乱の時代(184589


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# by kugayama2005 | 2019-05-08 02:46 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️587  物部守屋の敗退

     ・冠位十二階   十七条憲法

◾️645  蘇我入鹿の敗退

     ・大化改新


以上、2つの事件が、たった40年のうちに起こった。


聖徳太子が亡くなったのが622年で、皇極天皇の生誕が594年。したがって、若き皇極は、聖徳太子の時代を生きていた。


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# by kugayama2005 | 2019-05-07 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

さて、


「ジュリアン・ジェインズや、スティーヴン・ミズンによって指摘された、「農業化」によるニンゲンの心の変化を、日本にあてはめて考えることはできないか」


特に、「神の声を直接聴くことができた」古代の心性の痕跡を、日本書紀、万葉集、祝詞宣命などを導きとして発見するというのが趣旨なのだ。


そういう意味では、アマテラスの変貌(独行者合議制)が発見され、現実の為政者としてはヒミコの存在が稀有のものと思われる。


時間をもう少し引き伸ばしてみると、「古代の心性の痕跡」は、いくつかの流れに継承されていくように感じられるので、その点にしばらく視線を移してみる。


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# by kugayama2005 | 2019-05-06 04:44 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

合議体に変貌して以降のアマテラスと、ヒミコはとても似ている。阿蘇周辺には、必ず聖山やヤマト国の遺跡があると私は信じます(笑


さて、天孫降臨したニニギの次男がヒコホホデミ(山幸彦)であり、その孫が全く同名のヒコホホデミ(神武天皇)であること、


山幸彦が兄の釣り針を失って、海岸で悲しんでいた時、解決策を授けたのがシオツツ(塩土老翁)であり、神武天皇が東方への旅に出たのは、シオツツ(塩土老翁)が「東の方に良い土地がある」と言ったからだ、


などを考え合わせれれば、山幸彦(ヒコホホデミ)と神武天皇(ヒコホホデミ)は非常に近い関係であり、


神武天皇の母は、父の育ての母であり、父の産みの母は、実はサメだった、


ということを併せると、


元来、天孫降臨以来、山岳地で活躍していた山幸彦(ヒコホホデミ)も、神武天皇(ヒコホホデミ)も、海洋民の知恵者シオツツ(塩土老翁)に遭遇して、すっかり海の王子に変身してしまったのだ。


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# by kugayama2005 | 2019-05-05 15:55 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

スサノオの暴力によって、


家長(アマテラス)的な懲罰権に限界が生じ

合議による刑法を発動せざるをえなかった


と考えると、アマテラスが「岩戸に閉じこもって隠れてしまった」と言うけれど、一般的に貴人が「お隠れになる」というのは、亡くなったということだろう。その後、スサノオが追放されたのは「もろもろの神」の合議によってであり、アマテラスによってではない。


弟ツクヨミを一瞬にして追放し、父によって追放されたスサノオに何の関心も示さなかったアマテラスが、前代未聞の罪をおかしたスサノオに対して、間接的な合議制で処分を決める、というのは納得できないことだ。が、聖山タカマガハラを降りるということ自体、残念ながら俗世界との交流を認めるということになり、繊細な合議体が誕生したのだろうか。


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# by kugayama2005 | 2019-05-04 00:31 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️家長の懲罰権の及ぶ家支配の内部では「刑法」は存在しえない、


ということを小耳にはさんでおいて、聖山(タカマガハラ)から追放されたスサノオのことを考えてみた。


古代のある時期、「祖先神の影響力が暴落する転換点」があるのだ。


北方中国でいうと、商(殷)の時代には青銅器による祖先神への祭りは、絶対的なものであり、間違えがあれば、即刻神の懲罰が下るという。青銅器への文字の鋳込みも、国家の厳重な管理下にあった。


しかし、時代が下って周となると、祖先神の絶対性は揺らぎ、相対化されて、春秋戦国の時となる。


これは、ヒトが


神の声を聴くことができる

神の声なんか聴こえない


という変化に伴うものではないか?、と何度もこれまで委ねてきた仮説上に置くとして、スサノオの身に起こったことは、


家長的な権威を破壊したため

追放刑に処せられた


一方、タカマガハラ(高天原)に起こったことは


家長的な懲罰権に限界が生じ

合議による刑法を発動した


ということになる。タカマガハラ(高天原)という聖山において、俗的な法が合議によって発動される、というのは大変な矛盾ではないか。


【写真】SUMMILUX 1:1.4/50 LEIZ WETZLAR/春の花ばな/OLYMPUS PEN-F


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# by kugayama2005 | 2019-05-03 00:01 | Trackback | Comments(0)

◾️2度のエクソダス


1度目  スサノオ

2度目  ホホデミ(神武天皇)


実はこの1度目・2度目の間に、公認「天孫降臨」のニニギが存在する。しかし、ニニギは自らの決意で聖山を去ったわけではない。周辺の手厚いサポートのもとに、世俗社会に王権を樹立したが、主な事績は、コノハナサクヤ姫を一夜にして妊娠させたことくらい。


天孫系をたどればアマテラス(スサノオ)の孫が、ニニギ、ニニギのひ孫がホホデミということになる。


しかし、ホホデミ(神武天皇)から見ると、母系が強烈で、母はタマヨリ姫、父の母はトヨタマ姫、母と祖母が姉妹。しかも母は、父の育ての母であり、父の母は、実はサメだった。トヨタマ・タマヨリ姉妹の父は、ワタツミ(海神)と言って系譜は不明だが、海の聖王だろう。


かつて、スサノオは自分の娘3人を姉アマテラスの養子にし(日本書紀等によればアマテラスの娘を養子にし)、「宗像3神」とした。「父と娘」というのが、定型なのだろう。


聖山(タカマガハラ)から降りて、スサノオやホホデミは、海人に支えられてエクソダスを果たした。後の、壬申の乱における、天武天皇と海人との信頼関係を想起させる。


(父の母はサメだった。サメは日本語でワニと言う。ワニといえば王仁を思い出す。王仁(わに)とは、日本に漢字と儒教を伝えたとされる。王仁先生は、楽浪郡に来ていた漢人の王氏である。父の母はサメだったというのは、実は漢人の王氏だった、というような妄想あり)


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-05-02 10:50 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️水田稲作という管理社会と統治


スサノオの姉アマテラスに対する破壊行動は、「天の罪」として記憶される。宮廷内の某重大事件である。


姉アマテラスは弟に復讐したわけでもなく、損害賠償を求めたわけでもなかった。したがって、そこに生まれた法は、練磨されて公法になる機会はなかった。


従来、水田耕作の公共性は、首長の強い呪力によって守られてきたわけで、そこには(特にタカマガハラでは)法的な介入は存在しない。これは、大洋に孤立している島嶼の民族にも、同様の原理が働いているという報告もある。


列島では、その後、隋や唐の法制を天皇制に合わせてアレンジして導入したため、当然、ローマ法やゲルマン法に相当する法制度の萌芽はなかったのだろうか?、というとそうでもないらしい。


スサノオは思いつきで暴れたというより、(タカマガハラでは知られていない)市井で起こっている通りのことを演じたまでのことかもしれない。水田稲作という公共財にまつわる権利・義務関係の根源は、神的支配を脱して世俗社会を熱くしていたのだ。


その関係は、律令制とその崩壊とともに、日本の歴史の背骨になっていく。


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-05-01 00:05 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️呪から法


列島に長く存在した「玉」への信仰に、金属器が加わったのが、天孫の創成期だったのは興味深い。


銅製品(銅鐸・銅矛)は、組織的な水田稲作と並存して輸入されたのだろう。しかし、実用性に欠けるので消滅。一方、銅鏡は、ヒミコの趣味に合致したことをみても、女性に好まれて蒐集品として残った。(岩屋に隠れたアマテラスの興味を引くためにも大量の銅鏡が使われた)


大陸の銅製品は、本来、呪力を発揮するものなのだが、列島ではさっぱりその意味が解されず、ほぼ同時期に現れた鉄器の実用性に注目が集まる。


高天原では銅鏡を祀っていたが、下界は鉄器の時代になっていた。大型の墳丘の造成には、鉄器が不可欠ではないか。そういう意味では、現代もまだ鉄器時代の真っ只中と言える。


さて、またスサノオに戻る。自分の子をアマテラスに押し付けて天孫の後継者となし、はじめて姉に勝つことができたスサノオは、大暴れをする。


春には姉アマテラスの神田に「シキマキ」をした(シキマキとは田畑の所有者が種まきをした後を覆土し、自前の種をまいて横領すること)


姉の田の水路を埋め、畦を壊して、水田の機能を破壊


秋には馬を田に乗り入れて、収穫物をめちゃくちゃにしたり、横領をした


姉アマテラスが新嘗祭を行なっている部屋にウンコをした


姉アマテラスが神聖な機織り部屋に行ったので、馬の生皮を投げつけた


このようなスサノオを、アマテラスでさえ呪力で制することができなかった。タカマガハラでは、そのような事態が想定されていなかった。


おそらく日本の古代法制の教科書には欠かさず登場する、罪と罰の誕生なので興味は尽きないが、マックス・ヴェーバーは、


◾️家長の懲罰権の及ぶ家支配の内部では「刑法」は存在しえない


と説いているようだけど、ヴェーバーの言ってることは平凡かもしれないが、


スサノオの、「姉の水田を破壊し、収穫物を蹂躙する他」の行為に対して、家長アマテラスの懲罰権が及ばなかった、という事実は、アマテラスのみならずタカマガハラを震撼させる大事件だったのだ。したがって、神々(タカマガハラ支持の有力者)は、スサノオに罪を着せ、贖罪させ、ヒゲと手足の爪を抜き、根の国のさらに外に重追放としなければならなかった。つまり、タカマガハラが普通の国になった瞬間だ。


これら罪については、「大祓(おおはらえ)」に細部が示されているので、実はある時、「字で読むのではなく実際の大祓を聴いてみよう」と思って、さる格式の高い大祓を聴いてびっくりしてしまった。すっぽりとその罪の部分を無視しているのだ。


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-04-30 05:17 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️玉から金属


高天原周辺には、製鉄があった可能性がある。後に秦氏(辰韓)から輸入した、北方系の板状鉄材とは違う。南伝のタタラ製鉄である。


日常的に火山を見ていれば、高熱が岩をも溶解し、冷却すれば再び形成される、という事実が了解される。


ヤマタノオロチ伝説は、タタラ製鉄を隠蔽するためのものという説もある。スサノオが追放されてやってきたのは、出雲である。山谷に這う大蛇、頭と尾が8つ、目が赤く光っている。これがタタラ製鉄の現場だ。


出雲と言っても、島根県ではない、おそらく最初は日向どこかだ。スサノオは高天原では父母や姉の憎悪の対象だったが、俗世では辣腕だった。おそらく、秘儀のタタラ製鉄で活躍したのだ。


スサノオは「カラクニの島には金銀がある」と言って、将来の(金銀を運ぶ)造船のために植林事業をしている。


また、姉アマテラスとの間にできた(実際は姉の養子にしてもらった)3人の娘は「ムナカタ3神」となっている。すなわち、大陸貿易を秘匿裏に展開する、独占的ネットワークだ。


結果的には、北方系の鉄材を入手する方が簡単だったのだろうか。


ここで考えると、土器の焼成と、金属の精錬は同時進行したのではないか。縄文土器の野焼きでも、金属は抽出できる。しかし、高温釜(炉)なら、砂鉄や鉄鉱石を精錬できる。


高温釜(炉)は弥生式土器を大量生産できたと同時に、金属生産にも応用できたはずだ。自然給気を、フイゴを使った強制給気に変えれば、刀匠が日本刀を製作する過程と変わらない。


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-04-29 12:28 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️火山から低山

アマテラススサノオ


父や姉の怒りを買い、追放されたスサノオが(父親の老境を見越して)高天原に回帰し、


姉アマテラスと一時的に和解

誓約によって子どもを交換

姉を威圧して岩屋に引きこもらせ

再び追放される


というプロセスは、天の岩戸事件がドラマチックに推移するために、本質がぼかされている。アマテラス側の伝承だから。


実態は、スサノオが根の国でつくった子らを、老境の父のイザナギと姉アマテラスが、制度的に認知したということだろう。そうしなければ、相続人がいなくなってしまう。(母を同じくする兄妹・姉弟婚は、古代でも強い禁忌であって、「日本書紀」でもアマテラスとスサノオの誓約は、「川をへだてて」行われた、とわざわざ書いている)


アマテラスの養子(弟スサノオの実子)で、アマテラスを継いだ者を「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊」(まさかあかつ かちはやひ あめの おしほみみの みこと)と言う。


名前の根幹は、「オシホミミ」だろう。仮に、「威力あるお体」と訳すと、それでは、


◾️まさかあかつ かちはやひ


という異様の感のする尊称は、何か?

「まさに勝った、われは勝った、昇日のごとく勝った」ということになる。


勝ったのはスサノオだろう。姉に自分の子を押しつけて、後継者にしたのだから。


スサノオは再び追放されたのではなく、引き上げていった。事業家として成功していた彼は、忙しかったのだ。そして、これからの時代は、聖山を降りて市井に暮らすしかないという事実を示したのだろう。


さて、「まさに勝った、われは勝った、昇日のごとく勝った、威力あるお体のミコト」は、威勢のいいのは名前だけで、実権は「妻の父」(タカミムスビ)に移っている。


このタカミムスビが、孫のニニギを天孫降臨させることにし、アマテラスも同意の印として三種の神器を渡す。言ってみれば、神話のハイライトでもあるけれど、ここをもって天孫神話は終焉し、出雲神話に引き継がれる。


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-04-28 00:51 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️火山から低山


アマテラスが、いち早く人格神祖先神と位置付けられた

その他の「荒ぶる山河の神」は、遅れて人格化し、豪族の氏神となった


以上は、湯浅泰雄氏が指摘したところだけれど、「アマテラスの人格神祖先神化」は、神武のエクソダス(出九州)とともに自覚化された、と言い換えられる。


その「アマテラス体験」は、太陽神と巨大火山信仰が直結し、母イザナミが火の神を産んで焼死し、陥った黄泉の国とも通底している。


スサノオ(アマテラスの末弟)は、父母から憎まれ、追放され根の国に流されるが、そこでも受け入れられずに、泣き暮らしていた。父イザナギに「なぜ泣く?」と問い詰められ、「母イザナミのいる黄泉の国に行きたい」と答えると、マジギレした父イザナギに見放される。


イザナギは愛妻イザナミが愛おしく、黄泉の国まで追いかけて行ったが、イザナミは「もうあなたの子は産みたくない」と拒否。


一方、長姉アマテラスは、もうひとりの弟ツクヨミ(月夜見)とも些細なことで大げんか。「お前とは一生会いたくない」と、弟を夜の世界に追放してしまった。


末弟スサノオは根の国に追放されていたころ、「姉アマテラスにあいさつに行く」と称して、天への道をズカズカと登ってきた。父イザナギは老いて余命いくばくもない。アマテラスは弟の反乱と見て、男装して三本の剣を持ち、弓に矢をつがえて弟スサノオをギリギリ詰問した。


スサノオは「宝の玉を姉上にさしあげたいだけ」と真心を披露して、姉アマテラスに誓約した。(誓約とは結婚のことという解釈がある)


しかしスサノオがおとなしかったのは最初だけ。耕作地をめちゃくちゃに壊し、あげくの果てに、姉アマテラスの神聖な機織り小屋の天井に穴を開け、アマテラスめがけて馬の生皮を投げつけた。


アマテラスが岩屋に引きこもってしまったのは、そのためである。結果、スサノオは手足の爪を抜かれて、重追放となった。


これが神話の核心であり、巫女に降りたアマテラスが独白したのだろう。巫女はヒミコのような、類まれな呪者であり、ほとんどアマテラスそのものだった。


高天原=高地にある聖地

根の国=山麓の村

黄泉の国=遠方の汚れた土地


と解釈すれば、アマテラスの居所はきわめて限られた場所だったといえる。


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-04-27 03:10 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️火山から低山


まじめな話、火山信仰というのは、もののことわりに合っています。なぜなら、有機物の誕生は、地殻の活動と関係があるからです。


南下・西進した縄文人にとって、富士から阿蘇の間は、信仰に値する火山の少ない不毛の地。


日本書紀の第1巻の前半は、ある巫女に降りたアマテラスよる、口承だろう。アマテラスとスサノオの確執など、空想ではなく、一族に訪れた大きなストレスを感じさせる。


火山の近くでは、生活域が一瞬にして失われるような災害は珍しくない。大災害の後、生き残った人々が各地に移動して、火山信仰は、おとなしい低山への信仰に変化していったのかもしれない。


古代日本人が、例えば阿蘇山を父祖の地として述懐する、というような場面はない。古代天皇も、ひたすら熊襲を攻撃するのみで、そこは荒地であり、旧懐の対象ではない。


初代天皇の事績は、いきなり脱九州から始まる。南下・西進した縄文人の子孫らに、大きな挫折があったことが想像される。


(事実から言えば、九州南方の海底にある鬼界カルデラは、7300年前に爆発的噴火を起こし、九州中南部の縄文人は全滅した。中小規模の噴火は、断続して続いた。そのことが、火山に対する畏怖、信仰と、反対に恐怖、拒否に結びついていてもおかしくない)


【写真】春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-04-26 01:52 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

いや、ちょっと書きすぎとは思いますが、ここは妄想の取りまとめですから。


◾️火山から低山

◾️玉から金属

◾️呪から法

◾️水田稲作という管理社会と統治

◾️部民から貴族

◾️クニグニと統一国家


【写真】

春の花ばな/OLYMPUS PEN-F/LEITZ CANADA SUMMICRON-R 90mm F2


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# by kugayama2005 | 2019-04-25 03:02 | Trackback | Comments(0)

◾️三種の神器を持っていたのか神武天皇


さて、問題は、脱九州の神武天皇である。大阪湾で上陸して、奈良入りするのが理想だが、ナガスネヒコに阻まれる。長兄が矢を受け、一月後に紀の国で亡くなる。


紀の国の海岸線に沿って南下。次兄と三兄が事故で亡くなる。


熊野で上陸し、艱難辛苦のすえ、奈良盆地の南辺にたどり着く。


再びナガスネヒコとの戦闘になり、その結果、


ということは2019-04-03に書いたけれど、神武天皇もナガスネヒコも同じ「アマノハハヤ」(蛇神の呪がかかった矢)などを印として持っていたので、同族と判明した。


そのこと自体は、神武天皇も認めたのだが、神武は自分は天孫であり、ナガスネヒコは天孫に仕えるべき者だと主張し、ナガスネヒコを排除した。


ここで神武天皇が、自分が天孫であることの証明に、アマテラスが下した「三種の神器」の存在をほのめかさなかったのは何故だろう。


三種の神器の銅鏡・銅剣は、「アマノハハヤ」に比べて、


新しすぎる

外国製である

九州ヤマト国の話であって畿内ヤマトには関係ない


ということもあるが、根本的には、ナガスネヒコは、「天孫降臨」について何も知らないのだから、


神武天皇が「曽祖父(ニニギ)が天から降臨した際、祖母(アマテラス)から託された天孫の印だ」ともし力説しても、ナガスネヒコとしては、


天孫とか言ってもせいぜい曽祖父の時代とは、あまりに最近すぎる

降臨するに際して下すに、最近外国から入手した銅鏡や銅剣ではなく、「アマノハハヤ」を凌ぐ秘印はないのか


(アマテラスはナガスネヒコらの父祖ニギハヤヒに「十種の神宝」を授け、ニギハヤヒは河内に飛び降りたーーーと偽書とされる先代旧事本記には書いてあるらしいが、


◾️ニギハヤヒは天孫よりも古い時代に、3種を大幅に上回る10種の神器を、アマテラスからいただいて、河内に降り立った


という主張であり、ナガスネヒコを排除された悔しさに満ちあふれているのではないか。ナガスネヒコの部下は神武天皇に投降し、物部氏となった)


ナガスネヒコは、神武天皇が主張する天孫降臨説は寝耳に水であり、うまく反論できなかった。神武天皇が証拠に「三種の神器」を見せれば納得しただろうかというと、そうは思えない。神武天皇も、銅鏡が「ヒミコの趣味」であり、最近は銅鏡を壊して銅剣に改鋳していることも周知の事実だから、「三種の神器」を持っていたにせよ見せなかっただろう。


ヒミコとアマテラスを結ぶ「鏡」の線が見え隠れしている。


【写真】植物園

 EOS 5DS R/Apo-Makro-Planar T* 4/120


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# by kugayama2005 | 2019-04-24 00:48 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

◾️三種の神器を持っていたのか神武天皇


神武天皇の本名は、彦火火出見(ひこほひでみ)という。火火出見とは、火山信仰であろう。


以前も書いたが、ニニギの息子(海幸)の本名も彦火火出見(ひこほほでみ)。母はコノハナサクヤ姫(富士山の神)。


昨日書いた、

高千穂に、アマテラスが孫(ニニギ)を天から降下させた。高千穂とは、私的妄想によると阿蘇山


ということを拡張すると、天孫2代目ほほでみ(海彦)は、母が富士山噴火の女神コノハナサクヤ姫であり、自身と孫(神武天皇)が、コノハナサクヤの山岳信仰を汲む、彦ホホデミなのだ。


なお、コノハナサクヤの「木の花」とは、桜のことという説がある。そして、出身地は鹿児島とすれば、生誕地の聖火山は、桜島ということになる。


アマテラスという天上の火のシンボル、コノハナサクヤという富士、阿蘇、桜島の地上の火のシンボル。つまり女神の独占なのである。(アマテラスはコノハナサクヤの義祖母)


だから、なぜ、彦ホホデミなのかというと、彦(男子の美称)をつけておかないと、女性と勘違いされるからではないか。


【写真】植物園

 EOS 5DS R/Apo-Makro-Planar T* 4/120


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# by kugayama2005 | 2019-04-23 01:38 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005