能「頼政」について(続き)3

世阿弥「鵺(ぬえ)」のあらまし:


1「平家物語」では、頼政が天皇や高位高官に名を知られ、出世したきっかけの「鵺退治」として語られている。


2 しかし、世阿弥の能ではそうではなく、船に乗せられ棄てられた鵺の霊が、芦屋の浜に流れ着き、さらに沖へと消えていく情景が演じられる。


3 突然射落とされ、死骸を流された(鴨川〜淀川〜海へ)鵺の霊も、「草木国土悉皆成仏(草木や大地という非情なものもすべて成仏する)」と言うように、この世そのものが悟りの世界なのだ。


4 能「頼政」で頼政の無念の死を修羅として描いた世阿弥は、「鵺」では、頼政に射落とされた鵺でさえ成仏するのだ、と言う。


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# by kugayama2005 | 2021-02-24 17:03 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


能「頼政」について(続き)2


能「鵺」との関係


「鵺」という能は見たことがないので、シナリオを読んで考える。「鵺」は石見神楽にもある。強引にジャンル化すれば、「退治もの」とでも言うか。神楽としては王道だ。


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2021日記【054】世阿弥27_e0022344_11063381.jpg

















# by kugayama2005 | 2021-02-23 20:11 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


能「頼政」について(続き)


敵前渡河を強行した(平家方の)足利忠綱とは何者で、その後どうなったのだろうか。


1 足利といっても後の足利尊氏らの足利氏ではなく、藤原系の足利氏で、世阿弥の能では「田原又太郎忠綱」となっており足利という表現はない。足利将軍家との混乱を避けるためだろうが、一方、足利忠綱は戦後に改名し「田原」と名乗ったらしい。「田原」とは、先祖の「朝敵平将門を滅ぼした俵藤太秀郷」の「俵」を採ったものだろう。

2 足利忠綱は宇治橋の戦いでの渡河一番乗りを果たし、平清盛に対し恩賞を請求し、許諾された。ところが、上野國内で恩賞の独り占めに猛反発が起こり、恩賞を取り消されてしまう。

3 もともと足利忠綱一族が平家側で参戦した理由は、同じ上野國内の小山氏が以仁王の令旨を受け取ったのに、足利氏には「以仁王の令旨が来なかった」ためと言われている。以仁王の令旨は来ないし、平家側で大殊勲を立てるも恩賞の取り消しで面子は丸潰れ。

4 その後、源頼朝側に攻めたてられ忠綱は憤死寸前のところを諭されて、単身西国に逃れたという。そしてどうやら源氏側に寝返って、平家追討に参加した様子がある。源平盛衰記には、「足利又太郎」という人物が源氏側に登場するという。


京都府に宇治田原という町がある。足利忠綱の墓があるらしい。


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2021日記【053】世阿弥26_e0022344_16571217.jpg


















# by kugayama2005 | 2021-02-22 17:05 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


承前:


時系列で見れば、「頼政」の占める位置と内容の重要性がわかる。


また、能のシナリオとして「後白河」とか「八条院」などというものは成立しえないだろうから、(それ以上に「後醍醐」とか「尊氏」はありえない。約200年時代を巻き戻しているわけだ。奇しくもシェークスピア「ヘンリー四世」も200年。「仮名手本忠臣蔵」は400年)時代(や人物)の仮託は、わかる人にはわかるように出来ているのだろう。


「仮名手本忠臣蔵」はまさに室町時代に仮託されているが、観衆である誰もが「現代劇」として観ていたと思うし、それと同様に、世阿弥の描く源平戦国の時代は、南北朝の動乱を様式化したものだろう。


だから、「頼政」「清経」「実盛」「通盛」「忠度」「敦盛」というさまざまな敗者の修羅に、実は現代性があったということか。


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2021日記【052】世阿弥25_e0022344_02410909.jpg

















# by kugayama2005 | 2021-02-21 17:01 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)

酒器彩々31

酒器彩々31


2018年9月9日、日本時間早朝の全米オープンを思い出す。6-2、6-4だった。何かが変わる瞬間に立ち会えるというのも、一生に2、3回しかないと思う。


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# by kugayama2005 | 2021-02-21 00:00 | 酒器彩々 | Trackback | Comments(0)


後白河天皇と暲子内親王(八条院)についてはもっと調べたいが、世阿弥の時代から離れすぎてしまうので後日の課題とします。


足利義満(南北朝時代の収束と足利幕府)の時代に、後白河(源平戦国時代の収束と鎌倉幕府)の時代を重ね合わせたのは、まさにその時の時代精神だったと思うのだ。


だから、義満のような生まれついての将軍と、世阿弥のような生まれついての芸のスターが、同じ能のなかにその時代の「現代」を見ることができた。


そういう観点からなら、世阿弥の軍体能も、制作順は不明としても、内容の時系列で考えるのが素直なのではないか。


1 源頼政 1180620日(平等院で自刃)

2 平清経 11834月4日(豊前の海で入水死)

3 斎藤実盛 1183622日(加賀國篠原で木曾義仲軍に敗北)

4 平通盛 1184320日(湊川付近で討死)

5 平忠度(薩摩の守)1184320日(一ノ谷塩屋口西城戸で防衛戦、退却時明石海岸で討たれる)

6 平敦盛 1184320日(一ノ谷福原山手から湊川方面に退却し、馬で海に乗り出したところを、熊谷直実に呼び止められ討たれる)

7 源義経(八島)1185322日(屋島で義経が海に弓を流してしまい、危険を冒して取り戻す。義経は、自分の弓が短く弱いので、平家に拾われ嘲笑されるのを恥じたという)


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2021日記【051】世阿弥24_e0022344_12492202.jpg

























# by kugayama2005 | 2021-02-20 17:11 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


暲子内親王(八条院)は、父(鳥羽天皇)に溺愛された単なるお姫様ではない。「たまきはる」(藤原俊成の娘=定家の姉が著した書の仮名)によれば、暲子内親王(八条院)は、いろいろ細かいことは言わず、周囲の宮仕えの女性も自由気ままだったらしい。また、華美な宮廷の生活には興味がなく、座敷にゴミがあっても気にしなかったらしい。


結果的に、清盛亡き後の平家を壇ノ浦に追い落としてしまったのは、後白河法皇と八条院だと思う。もっとも、義経がそこまでやってしまうとは困ったことで、後白河法皇は、荒天を突いて平家追撃の船出をしようとする義経に使者を出し、「(義経が)前線に立つ必要はない」と諫めている。義経には京都の警護を任せたはずだし、安徳天皇と三種の神器に危害があったら面倒だ(という懸念が的中してしまうのだが)。


後白河法皇はその後、頼朝をして「日本一の大天狗」と言わしめたが、義経を重用して鎌倉を牽制し、義経を逃して平泉から鎌倉を圧迫したのも後白河法皇だったし、さらに頼朝を京都に呼び出して和解し鎌倉幕府に箔付したのも後白河法皇だったと妄想する。これらは暲子内親王(八条院)との合作だ(ろう)。



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# by kugayama2005 | 2021-02-19 17:08 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


世阿弥の能「頼政」の話なので、源平時代に遡らざるをえないのだけど、これは、南北朝時代を開けてみると源平戦国時代が入っており、それを開けてみると壬申の乱が入っていたりするので仕方がない。


暲子内親王(八条院)は鳥羽天皇直系の女子であり、皇位継承の可能性ゼロに見えた10歳年上の(後の)後白河天皇のことをどう思っていたか。何しろ明け方まで「今様」を歌っている兄なのだ。


「今様」は要するに流行歌なので、生まれてくる新しい歌を次々と覚える。そしてそれが消えていくのを惜しみ、せっせと書き残す。「今様」が生まれてくる場所は、遊び人の世界だ。つまり遊女や傀儡子(人形遣い)が先生で、御殿に住んでもらって日々習う。


白拍子や傀儡子と極めて親しくなることで、巷間に起きていることを知り、京雀の情報網を図らずも持っていたことになる。後白河天皇が源平騒乱の時代を駆け抜けていけた背景には、それがある。


一方、八条院(暲子内親王)は、膨大な荘園を相続しており、彼女の蔵人(側近の秘書)はそういう基盤から地方情勢を詳しく知ることができた。


私の妄想では、「以仁王の令旨」とは、このふたりが放った嚆矢だった。「吾妻鏡」の書き出しが、以仁王の令旨で始まるのもむべなるかな。


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2021日記【049】世阿弥22_e0022344_15081479.jpg


















# by kugayama2005 | 2021-02-18 17:07 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


後白河法皇・・・・八条院(暲子内親王)=兄と妹(異母)の関係については、当然、追跡は難しい。


1 父は鳥羽天皇


2 八条院(暲子内親王)の母は藤原得子(美福門院)

3 後白河天皇の母は藤原璋子(待賢門院)

 ※美福門院と待賢門院は激しく衝突、鳥羽天皇は美福門院を寵愛


4 鳥羽天皇の子

 崇徳天皇

 後白河天皇

 近衛天皇

 統子内親王(上西門院)

 暲子内親王(八条院)

 ※後白河天皇は皇位が回ってくることがまったく無さそうな序列だったので、若年時は「今様」に没頭、「梁塵秘抄」を編む


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2021日記【048】世阿弥21_e0022344_03010241.jpg


















# by kugayama2005 | 2021-02-17 17:00 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)


承前:


ここに、


後白河法皇・・・・八条院(暲子内親王)


 =兄と妹(異母)


八条院(暲子内親王)・・・・以仁王


 =養母と養息


以仁王・・・・北陸宮


 =父と子


というつながりがあり、八条院(暲子内親王)は後に、ひそかに天皇即位への期待も寄せられた女性であったことも考えれば、


後白河法皇・・・・八条院(暲子内親王)・・・・以仁王・・・・北陸宮が、一筋の線となっているように思える。


問題は、北陸宮が木曾義仲に庇護され、義仲がそれによって過大に自己評価し、義仲の京都突入という事態が起こった。さらに後白河法皇は、木曾義仲に安易に平家追討の宣旨を出すなど火に油を注ぎ、義仲は以仁王の息子(北陸宮)を天皇に即位させるべきだと主張して舞い上がった。


後白河法皇と八条院は、どうやら緊密に連絡を取り合っていたようで、鎌倉(源頼朝)とも通じていたはずだ。木曾義仲は手玉に取られていただけだった気がする。


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2021日記【047】世阿弥20_e0022344_03003947.jpg


















# by kugayama2005 | 2021-02-16 17:00 | 2021日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005