久我山散人

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2018年 11月 18日

2018日記【064】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」3

ジュリアン・ジェインズの「二分心」(Bicameral Mind

と脳の部位の関係


ニンゲンの多くは、左脳に言語野があります(いわゆる右利きのヒトの脳)。それでは、右脳の中で、左脳の言語野に相当する部分にどういう機能があるかというと、何もないのです。


ジェインズは、その右脳の空白部分に、かつて神の声を聞き、左脳に命令する機能があったといいます。


【参考】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」<Julian Jaynes:The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(1976)>、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」<Steven Mithen:The Prehistory Of The Mind

(1996)>


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-18 00:13 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 17日

2018日記【063】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」

ジュリアン・ジェインズの「二分心」(Bicameral Mind)概要


1  遠い昔、人の心(脳)は、命令を下す部分(神)とそれに従う部分(人)に二分されていた。

2  二分心が崩壊し、神の声を聴くことができなくなった時期、人は言葉を獲得し、意識が生まれた。それは意外と最近のことで、早いケースでも3000年前だ。


【参考】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」<Julian Jaynes:The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(1976)>、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」<Steven Mithen:The Prehistory Of The Mind

(1996)>


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0

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# by kugayama2005 | 2018-11-17 11:35 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 16日

2018日記【062】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」2

ジュリアン・ジェインズにおける、「<二分心>が失われ(the Breakdown of the Bicameral Mind)」とはいったいなんでしょう?、ということを書くと、ほとんどこの話は終わってしまうのですが(笑)。


ジェインズは、先史時代のニンゲンは、その後のニンゲンと違う脳の構造を持っていたと考えています。それを、Bicameral Mindと呼びます。(翻訳者は<二分心>と訳す)


ちなみにbicameralとは、一般的には「二院制」のことです。日本の国会では、衆議院、参議院。米国では上院、下院。「院」というのは比較的大きな建物の意味です。ところが英語では、「院」ではなく「院」より小さい「家」(house)、あるいは「室」(cameral)を用います。


だから、Bicameral Mindとは、「二室の心」という意味ですが、感じとしては心に上下両院があるような?


【参考】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」<Julian Jaynes:The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(1976)>、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」<Steven Mithen:The Prehistory Of The Mind

(1996)>


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0

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# by kugayama2005 | 2018-11-16 02:35 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 15日

2018日記【061】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」

2018-08-19に、ロジャー・ペンローズの「量子世界が時空とどう関係しているかを明らかにしなければ、意識や心の問題に対する理解は先に進むことができない」「素粒子に意識の契機となる属性があるのだ」という言葉を介して、意識の発生を遠望したのですが、今回は標記2冊の書物によって、先史時代の人々の認知について考えてみます。


以前、「神の喪失にもだえる人としてのイエス」という観点で、新約聖書をそぎ落としていったら何が残るか、と考えたことがありました。しかし、イエスの時代というのは、一方にユダヤ教があり、一方にローマ帝国があるという、もうすでに充分「歴史的」な時代なのです。意識の発生について考えるなら、もっと時間を遡らなければならない。


そうしているうちに、ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」の中に、そのものズバリの一節を発見してしまいました。その部分を切り詰めて引用します。


『旧約聖書とは<二分心>が失われ、混乱と暴力が起こり、神の声をふたたび得ようと虚しく探したあげく、道徳的規範にその代替物を見出す物語だ』


「<二分心>が失われ(the Breakdown of the Bicameral Mind)」とはいったいなんでしょう?


【参考】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」<Julian Jaynes:The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(1976)>、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」<Steven Mithen:The Prehistory Of The Mind

(1996)>


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0

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# by kugayama2005 | 2018-11-15 02:31 | 2018日記 | Trackback | Comments(6)
2018年 11月 14日

2018日記【060】沖縄から29 縄文人

ざっとこの1万5000年間の日本列島をまとめる。


◼️13000年間(いわゆる縄文時代)

社会の背景=母系伝播

道具=石、火

生活=「拡大家族」の分任


◼️2000年間(歴史時代)

社会の背景=王権支配

道具=鉄(強い火力)、馬

生活=「農民農奴(稲作)」の分担


◼️150年間(近・現代)

社会の背景=国民国家

道具=電力、内燃機関

生活=「給与所得者(生産現場)」の分離


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-14 01:50 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 13日

2018日記【059】沖縄から28 縄文人

近・現代を別の言葉、道具の歴史で言えば、電力と内燃機関の時代とでも言えるでしょうか。いわゆる産業革命は、日本では明治維新以降ですから、150年ほど前からの話。工場労働(給与所得者)という生活方法が登場しました。


それ以前は、電力に対応するものが鉄(金属)を使う人力、内燃機関に対応するものを牛馬(家畜)の使役、と、強引に想定してみます。その期間は、2000年間くらいです。日本では鉄と稲作(あるいは馬)がセットで大陸からやってきて、耕地労働(農民農奴)という生活方法が登場しました。


さらにそれ以前は、縄文時代で、13000年間とアバウトに考えましょう。「縄文時代」という時代があったと考えられるのかどうかはやや怪しいですが、そこは縄文ファンですから、あったと思いたいわけです。一般的に言えば旧石器時代ではない石器時代です。ただし旧石器時代と新石器時代の関係が不明確なのですが、両者をまとめてしまうと長くなりすぎるので一応区切ります。この時代の生活様式は、あえて言えば拡大家族(身内)の分業です。


近年、縄文土器の製作は女性の仕事だったという説が流布されていまして、そうなると植物や魚介類の採集も含めて、子育てなどとともに日常の仕事は全部女性が行なっていたことになります。男の仕事は、猟や沖合の漁労という一発勝負(と、さぼってぶらぶらしていること)です。


【写真】海岸から名護への秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-13 01:00 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 12日

2018日記【058】沖縄から27 縄文人

千年ばかり続いた三内丸山の縄文集落ですが、終末期は植栽していた栗の木が減っていったそうです。栗は食用として保存もきき、木材資源でもあるわけです。


栗の木の減少は、気候変動の影響もありますが、立枯病で栗林が全滅することもありえるようです。栗の減少が、集落の衰退と関係ありそうです。


縄文人はドングリを食べていたという話はよくありますが、栗が豊富に採れれば、ドングリは食べないと思います。


【写真】ふと東松照明を思い出してモノクロにしてみた沖縄/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-12 02:11 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 11日

2018日記【057】沖縄から26 縄文人

ところで、土の煉瓦が発達した古代の中東地域などでは、古い壺は出土しないらしい。縄文土器は、世界でも珍しい早期の壺ということになる。


豊かで清浄な水源も含めて、以下のような素材が揃わないと縄文生活は成り立たない。


石材(道具の製作=黒曜石・サヌカイト)

木材(造船用には栗の木など)

食材(魚介・小型獣・木の実・山野草)

粘土(土器の製作)

繊維(衣服などの製作=シダ類や大麻など)


以前、試しに関東ローム層の土で素焼きを作ってみたら、なんとか出来た。


【写真】ふと東松照明を思い出してモノクロにしてみた沖縄/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-11 00:15 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 10日

2018日記【056】沖縄から25 縄文人

縄文時代の石材や食材の研究はたくさんあるので、それをボチボチ読むとして、木材や繊維はどうだろう。


高村光雲に「栃の木で老猿を彫ったはなし」というのがあって、内容は、彫刻のために必要な栃の大木を、栃木の山中まで買い付けにいくというもの。


それを読んでギョッとしたのですが、「畑には麻を植えてあり五穀は採れない。人々は栃の実を水にさらして食べていた」というのです。明治維新前後の山村では、縄文時代とそれほど変わらない生活をしていた。


また、畑に植えられていた麻とは、古代中世に関東で量産されていたカラムシでしょうか。カラムシは、おそらく大麻の代替品です。


【写真】ふと東松照明を思い出してモノクロにしてみた沖縄/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-10 01:04 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 09日

2018日記【055】沖縄から24 縄文人

縄文人にとって必要不可欠なのは、黒曜石やサヌカイトなどの石材だ。そして造船用の木材。縄文文化はまず、石材・木材の流通ネットワークに沿って展開する。


道具だけあっても生活はできない。魚を獲り、鹿を獲る。貝や小魚を獲り、「煮干し」にして保存食にする。手近なところに、栗の木があれば最高だが、トチの実やドングリでもいい。「アク抜き」をして食用にする。


「煮干し」作りや「アク抜き」には、素焼きの壺が便利。今日の鍋料理風の「壺料理」もあったろう。


【写真】島尻の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-09 03:25 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 08日

2018日記【054】沖縄から23 縄文人

縄文人はその文化、言語を保持しつつ日本列島を南下、西進したと考えるのが自然だと思う、


氷河期には針葉樹林だった東日本が、気候変動で落葉樹林に変わると、縄文人の縄文人らしい生活が始まる。八ヶ岳山麓など、縄文の聖地とも思われる場所が出現する。


人口も増え、新天地を求めて西進すると、次第に照葉樹林帯となり、どちらかというと縄文人には苦手な環境。しかし縄文海進で生まれた瀬戸内海の海路は、操船の巧みな縄文人には良い環境だった。


【写真】島尻の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-08 02:05 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 07日

2018日記【053】沖縄から22 縄文人

視野を狭めて、16000年ほど前の日本列島付近、氷河期の終わりにしたがって海水面が上昇し日本列島が大陸から切り離されると、大陸との往来はごく稀になったでしょう。渡来人はまさに「まれびと」として神話的存在になった。


大陸の気候も温暖になり、無理して島に渡る必要もない。そのため、縄文人は1万年以上孤立していたわけです。1万年前というと、西暦0年から現在までを5回繰り返す長さですから、形質的にも文化的にも独自のものが形成されて当然です。


とはいえ、日本列島にほぼ同趣旨の縄文土器が行き渡ったのはなぜなのか。縄文人の交易ネットワークは、どのようなものだったのか。神津島の黒曜石、糸魚川のヒスイなどの流通過程は興味深いものです。


【写真】コザの秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-07 19:48 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 06日

2018日記【052】沖縄から21 渡来人

現生人類は「出アフリカ」以降、全地球的規模に拡散しました。そういう意味では、アフリカ大陸から離れなかった人々以外は、みな渡来人ということになります。


また、現生人類がユーラシア大陸に来た時、そこには先行して出アフリカを果たしたネアンデルタール人やデニソワ人がおりました。


以前は、現生人類の進出によってネアンデルタール人は消滅したように解釈されていましたが、現在ではネアンデルタール人のDNAが現生人類にも保存されていると考えられています。ということは、現生人類とネアンデルタール人は融合してしまったわけです。


また、デニソワ人の父と、ネアンデルタール人の母から生まれた少女の骨の化石が、ロシアで発見されたらしいです。つまり、現生人類は混血と移動を繰り返して世界に広がったのです。


【写真】コザの秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-06 00:44 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 05日

2018日記【051】沖縄から20 渡来人

蘇我氏が突然に天皇周辺で力を増した背景には、蘇我氏が保有していた舶来の技術と、技術者があったと言われています。そして宮中クーデターによって、蘇我氏が排除されたことは周知の通り。


それで蘇我氏とは何者かということになりますが、これは私のいいかげんな妄想ですけど、「我は蘇なり」という意味で、蘇から来た人でしょう。古事記の編纂者として自ら名乗っている稗田阿礼(ひだのあれ)は、「稗田村のおれだよ」という意味で、分かる人には分かるらしいというのを参考にしました。


蘇というのは三国志の時代で言えば、呉の北端です。呉の滅亡に伴って、呉人が海へ逃れ、日本列島や朝鮮半島の慶州あたりに着いてもおかしくはない絶好の位置関係です。


また、サーサーン朝ペルシアから多くのペルシア人が唐の長安にやって来て、さらに運河と長江の水運によって寧波あたりまで来ていただろう。


蘇我氏の墳墓と、慶州の墳墓から発見されたローマングラス(ローマ製のガラス器)が瓜ふたつというのも納得できます。ペルシアのガラス器は、正倉院に「白瑠璃碗」として収蔵されています。


ということは、珍品のローマングラスは自分の手元に置き、ペルシアングラスは贈答品として手放したのか、などとこれは妄想です。


ところで蘇州博物館というのが人気で、写真撮影もオーケーらしいです。行ってみたいですね。


【写真】コザの秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-05 01:09 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 04日

2018日記【050】沖縄から19 縄文人

アイヌ語と縄文語の近似を信じつつ、解析をされている方の努力には敬服します。アイヌ語と縄文語を比較するには、古い日本語を仲介するわけで、そうすると古い日本語とは何かという問題に突き当たるわけです。


沖縄言葉や八丈方言が古い日本語を保存しているといっても、それは歴史時代のことで、無文字時代の日本語は不明です。


このままでは散逸してしまうという危機感から編集された「古事記」にしても、宮中に秘蔵されていたものが原資料とすれば、そう古いものではありません。


最近まで話者によって伝えられてきたアイヌ語は宝の山ですが、オホーツク人との交流などによって、縄文語と離れていった可能性もあります。また、DNA解析では、北海道縄文人とアイヌとの分岐は相当古いとするものもあり、アイヌ語に縄文語の痕跡を探るのはなかなか困難か。


【写真】コザの秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-04 04:02 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 03日

2018日記【049】沖縄から18 縄文人

琉球の縄文人と、北海道・東北の縄文人は、大陸系の人々との相互浸透が比較的少なく、日本列島・琉球弧先住民として近い存在です。その傾向が、現代人の遺伝子解析でも現れています。


そこで、沖縄言葉とアイヌ語との関係はどうなのでしょうか。沖縄言葉は、沖縄ではウチナーグチと言われるように、ヤマトとは違う俺たちの言葉と認識されています。状況は、八丈方言(島言葉)と似ています。日本語の古語を保存した、古い時代の日本語とも言えます。


それでは、アイヌ語は?


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-03 04:15 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 02日

2018日記【048】沖縄から17 縄文人

沖縄の縄文遺跡(沖縄では縄文時代に相当する時期を貝塚時代前期という)は破壊されているものが多いそうですが、旧石器人の骨が残ったように、アルカリ土壌ゆえに多くの縄文人の骨格も残っているのではないかと思います。


約7,300年前に、南九州の鬼界カルデラで大爆発があり、その結果の気候変動で九州の縄文人は生活が困難になり北上、あるいは南下したのではないかと推察されます。南下した縄文人は琉球弧に定住し、先住民となった可能性があります。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-02 05:46 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 01日

2018日記【047】沖縄から16 縄文人

縄文人のDNA解析などにより、縄文人の遺伝子を多く受け継いでいるのが、琉球と北海道の古層だとわかりました。北海道、東北ではさらにオホーツク人の影響もあります。


その結果、かなり古い時期に孤立した縄文人が、琉球列島や北海道を含む日本列島に広がり、その後、大陸系の人々がやってきて中央部に浸透したと推察されます。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-11-01 03:13 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 31日

2018日記【046】沖縄から15 縄文人

柳田國男「海上の道」の悪影響だと思いますが、沖縄の旧石器人は、海流に乗って日本列島を北上したのではないかと思っていたのです。


現在の遺伝子解析では、縄文人のDNAも調べていまして、日本列島の初期の住民が縄文人であり、現日本人も縄文人の遺伝子を一定程度受け継いでいることがわかっています。


しかし、旧石器人と縄文人(新石器人)のつながりは、実はわからないのです。道具で時代区分を行うこと自体がギモンではありますが。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-31 03:33 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 30日

2018日記【045】沖縄から14 港川人

港川人が縄文人と関係がないとすると、彼らはどこから来てどこへ行ったのでしょうか。港川人は、オーストラリアのアボリジニや、インドネシアの先住民に近く、人類の「出アフリカ」以降、速やかにその航海術を駆使して太平洋に進出した人々ではないかと言われています。


日本列島に相当する場所(約1万年前の氷期終了時に日本列島は大陸と完全に分離)に住みついた、他の旧石器人との出会いはなかったのでしょうか。


【写真】沖縄県南城市 港川の流れる谷/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-30 11:04 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 29日

2018日記【044】沖縄から13 港川人

2年ほど前に、世界最古級(推定2万3000年前)の釣針が出土していて、旧石器人が河口から船を出し、漁労をしていたと考えられます。


その川は、今でも港川と呼ばれるように河口に漁港があるのです。沖縄の海はサンゴ礁を越えると急に深くなり、大型の魚もいます。


【写真】沖縄県南城市 港川河口/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-29 00:24 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 28日

2018日記【043】沖縄から12 港川人

今は観光スポットになった玉泉洞という鍾乳洞に隣接して、崩落鍾乳洞が発見され、そこにも旧石器時代の痕跡があるらしいです。


今回の興味はそこではなく、南方から航海してきた旧石器人が、港川の河口に到着し、ここは良さげだ、と思った気分を多少共有したくてですね。


【写真】沖縄県南城市 港川河口/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-28 04:34 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 27日

2018日記【042】沖縄から11 港川人

日本で旧石器時代の全身の人骨が初めて見つかったのが、沖縄南部の港川というところです。その後、石垣島でも見つかっています。


旧石器人が、日本の四島にいなかったわけではもちろんありません。道具など生活痕は多く残っていますが、人骨は酸性土で融解してしまうのです。


港川人は、その後、縄文人になったという説があったのですが、最近は否定されています。


それはともかく、港川に行ってみなければと、那覇から糸満を経て行きました。何と、そこには20歳のころ行ったことがありました。


玉泉洞という洞窟があって、今はピカピカの観光地になっているではありませんか。中国さんや韓国さんが楽しそうに徘徊しています。ハイビスカスが咲きほこり、韓国の女の子が「ハワイイみたい!」と喜んでいました。韓国語ではHawaiiの最後のiiを律儀に発音して「ハワイイ」になることを知りました。


【写真】沖縄の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-27 15:07 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 26日

2018日記【041】沖縄から10 日明貿易

琉球王朝以前、琉球王朝時代を通じて、琉球と日本とのつながりを考えてみると、その背景には日明貿易がある。


博多や堺の商人は、香木や生薬など南方系の商品について、明国を経ずに琉球の商人と取り引きできることを知っていた。勘合貿易は明国の都合でやっている建前で、私貿易はまた別なのだ。


多くの人が琉球からやってきて、日本語と琉球の言葉に少なからぬ共通点があることに気づいただろう。「おもろさうし」などの記述に、漢字仮名交じり文が採用されたのも、そういう背景があってではないか。


また琉球から来たお客を、当時流行の申楽見物に招待すれば、人気演目の「汐汲」(「松風」の原型)を鑑賞する機会もあった。


琉歌と松風の「汐汲」を強引に結びつけるつもりはないけれど、月と海の満ち干の秘密を知ってる者にしかわからないモチーフだと思う。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-26 02:11 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 25日

2018日記【040】沖縄から9 京・鎌倉

琉球王朝時代の「おもろさうし」に、日本のことを「京・鎌倉」と表現している箇所があり、以前から不思議の感をもっていた。


鎌倉幕府は1333年に終わっている。琉球王朝は1429年からで、そのころ鎌倉はさびれた田舎町でしかない。「おもろさうし」に収録された内容が、百年以上口承によって伝わってきたものなのだろうか。


あるいは、日本の成り立ちについては、京に都があり鎌倉に武家政権があるという認識で、鎌倉時代が終わっている琉球王朝時代にもそれが保持されていたのだろうか。


琉球王朝(首里を首都とした統一王朝)以前の沖縄は、グスク(城)時代と言って群雄割拠の状態だった。北部の今帰仁(なきじん)城などは一大勢力で、明と交易をしていた。明へだけではなく、広くアジアを航海していたので多くの知見を持っていた。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-25 04:04 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 24日

2018日記【039】沖縄から8 須磨の宿

光源氏は、都から逃避して住んだ須磨の地で台風に遭遇し、住居を破却されてさらに明石に移り住む。


海女の宿は「松の柱に竹垣を差しかけたようなもので、夜寒は葦火で耐える」というもの。台風が来れば吹き飛ばされてしまうのだろう。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-24 03:00 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 23日

2018日記【038】沖縄から7 夜の月、朝の月

松風、村雨は「海女の宿は人里はなれ、月よりほかは友もなし」という生活の中で、汐汲みの桶に月が入ったことに少し心も和み、「月はひとつ影はふたつ」と貴人との出会いを懐かしむ。宵の月。


一方、琉歌の汐汲みは、おそらく塩水として調理に使ったり、豆腐づくりをしたりするのだろう。桶に月が汲み移ったので、家族へのお土産にしようというわけだ。早朝、未明の月ではないか。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-23 00:10 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 22日

2018日記【037】沖縄から6 海女小屋のトポス

謡曲「松風」の成立は、観阿弥世阿弥よりも古いということで、能ではなく申楽の面影を濃く残しているのだろうか。


例えば「松風」の場合も、松風・村雨の視線で生き生きと語られているわけで、申楽の人気の源泉がよくわかる。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-22 02:15 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 21日

2018日記【036】沖縄から5 月のクオリア

月を汲む。


琉歌から于良史に飛んだけれど、その間の「松風」に落ちてもいい。都の貴人にポイ捨てされた、元美少女の姉妹、松風と村雨。さらに須磨の海岸という非都市のポエチカといえば、源氏物語でもいいわけだ。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-21 00:00 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)
2018年 10月 20日

2018日記【035】沖縄から4 月を汲む

昨日の琉歌、月を汲んで土産とする。月を汲むについては、唐代の詩人、于良史(うりょうし)による「春山夜月」のなかに、「掬水月在手 弄花香満衣」とあるという。


きらびやかな唐の繁栄の時代にあっても、反俗の詩人は、春の山に行って自然を満喫し、「水をすくえば手の中に月あり、花を手にすれば衣服に香りが満ちる」としている。


【写真】那覇の秋/SONY DSC-RX0


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# by kugayama2005 | 2018-10-20 01:01 | 2018日記 | Trackback | Comments(2)