2018年 11月 15日
2018日記【061】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」
2018-08-19に、ロジャー・ペンローズの「量子世界が時空とどう関係しているかを明らかにしなければ、意識や心の問題に対する理解は先に進むことができない」「素粒子に意識の契機となる属性があるのだ」という言葉を介して、意識の発生を遠望したのですが、今回は標記2冊の書物によって、先史時代の人々の認知について考えてみます。
以前、「神の喪失にもだえる人としてのイエス」という観点で、新約聖書をそぎ落としていったら何が残るか、と考えたことがありました。しかし、イエスの時代というのは、一方にユダヤ教があり、一方にローマ帝国があるという、もうすでに充分「歴史的」な時代なのです。意識の発生について考えるなら、もっと時間を遡らなければならない。
そうしているうちに、ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」の中に、そのものズバリの一節を発見してしまいました。その部分を切り詰めて引用します。
『旧約聖書とは<二分心>が失われ、混乱と暴力が起こり、神の声をふたたび得ようと虚しく探したあげく、道徳的規範にその代替物を見出す物語だ』
「<二分心>が失われ(the Breakdown of the Bicameral Mind)」とはいったいなんでしょう?
【参考】ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」<Julian Jaynes:The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind(1976)>、スティーヴン・ミズン「心の先史時代」<Steven Mithen:The Prehistory Of The Mind
(1996)>