2018日記【077】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 6

水田稲作も大まかに言って、当初は家庭菜園的なもので、沢筋にちょっと作っておこうという程度のもの(菜畑遺跡)、作り手は縄文人で、技術や種もみは、環黄海ネットワーク、あるいは黒潮ルートから入手? ちなみに陸稲はもっと以前から栽培されていた。


その後、渡来人が参入、「田植え型」稲作が波及。


1 環黄海ネットワーク

   ・土塁、柵、空壕を伴うムラ

    →例として吉野ヶ里遺跡

   ・土間の家屋


2 長江流域から黒潮ルート

   ・環濠(水堀)を伴うムラ

     →例として平塚川添遺跡

   ・高床の家屋

   ・鵜飼など


【写真】那覇市「ゆいレール」から市内を遠望/SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2018-12-01 13:57 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005