2018日記【100】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 29

斉明天皇の軍事行動(北方攻略・百済への援軍派遣)から推察すると、東国・西国の実力者は、天皇政権にほぼ協力的になっていたようだ。協力的ということは、現実的なメリットを感じていたということだろう。


天皇ファミリーを引き連れての九州行きは、当然、募兵をしながらというものだ(したがって敗戦処理も困難を極めることになる)。


◾️熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな


ぬかたのおおきみ(額田王)の有名な万葉歌ですね。にぎたつ(熟田津)は温泉の出る港、という地名から、道後温泉あたりかと推察されています。


ぬかたのおおきみ(額田王)は、後の天武天皇の最初の妻であり、この航海の前にはすでに、とおちのひめみこ(十市皇女)という天武にとっての初の子を生んでいる。言わずと知れた、ずば抜けた美貌と詩才に恵まれた女性だが、吉野裕子先生は、ぬかたを、蛇巫(だふ)と推察している。


蛇巫とは何か、というと蛇神と交わり、子蛇を産む巫女であり、古代日本では大きな影響力を持つということになるらしい。


斉明天皇の軍船には、斉明天皇、(後の)天智天皇・天武天皇兄弟と、おおた・うの姉妹のような若い妃たち、ぬかたのようなスターも乗っていたわけだ。そのような船に寄港されれば、進んでか渋々かは別として、地元の実力者は協力しないわけにいかない。


◾️熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな


この歌の語尾は、同意をうながすものである。天皇家の嫁といえどもそんなこと出来ない。蛇神の巫女ぬかたが、義母斉明天皇になりかわっているのだろう。うののさららの視線は、そういうぬかたをどう捉えていたのか?


さて、この歌の「月」はどういう月?、という疑問があるけれど、道後温泉あたりから九州方面に船で行くわけである。だから、西へ流れる強い潮が好都合だ。ということは、満月(大潮)に近い月が西に没して行く頃、早朝ではないかな? 月待てばを、東の空に昇ってくる満月に近い月と解釈すると、潮流は逆流になってしまうのでは?


【写真】駿府城/SONY DSC-RX0

ふと思い立って、徳川家康に縁のある城を見に行きました。駿府城、発掘中。


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by kugayama2005 | 2018-12-25 03:50 | 2018日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005