2018日記【102】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 31

うののさらら(後の持統天皇)

・西暦645年生まれ

・出自 父は後の天智天皇、母は蘇我氏の名門

・子 草壁皇子(天武天皇の皇太子)


ぬかたのおおきみ(額田王)

・西暦627年頃の生まれ(推定の根拠なし)

・出自 地方豪族(吉野裕子説では蛇巫女)

・子 十市皇女(父は後の天武 天智の子・大友皇子の妻)


うののさらら(鸕野讃良=後の持統天皇)が、父天智、ぬかたのおおきみ(額田王)を激しく憎み、反面、己の子や孫に愛情を注いだというよくある説は、私見では正しくないと思う。


うののさららは、誰からも愛される姉と、言葉を発しない夭折することになる弟とともに、母を喪って祖母斉明天皇に引き取られた。(後の)天智天皇の子であり、母は蘇我系の長老の娘という良血だ。しかし自身が将来、天皇になるという機会はまったくないようだし、希望もなかった。


そして祖母斉明天皇に接して、苛烈な政治の実態、その律動するプロセスの知識を、幼児期から叩き込まれた。知識だけではない、百済救援の軍船で、祖母、父、夫らとともに九州に航海し、数年とどまった。庇護者、祖母の崩御。そしてその地で長男を出産した。敗戦による混乱、そして帰京。夫(後の天武天皇)は戦後処理のため、長く九州から帰れなかった。


かまたり(後の藤原)のような、実力派官僚との接触もあったはずだ。そして、ぬかたのおおきみ(額田王)との交流もあったはずだ。ぬかたのおおきみ(額田王)は、うののさららより、(だいたい)18歳年上。祖母の軍船に乗って西下する航海の時、15歳の彼女の目に映るぬかたのおおきみ(額田王)33歳は、冷徹な彼女(うののさらら)にしても圧倒されるものだった。憎しみの対象にはならなかった。


彼女(うののさらら)は、ーー「(自分たち)娘4人セット」が「美女詩人(ぬかた)ひとり」と等価であるーーという現実を直視した。しかし、自分たちより4倍の価値がある天才詩人を憎む理由はない。


さて、いろいろ書いてきましたが、ちょっと後戻りして、


「ジュリアン・ジェインズや、スティーヴン・ミズンによって指摘されたこと(農業化によってニンゲンが変化した)を踏まえれば、この時期のニンゲンは経済基盤の変遷に並行して、心的動揺にさらされたということになる。その結果、自然の声を聞いていたニンゲンに自然の声が聞こえなくなり、その代わりに「水田稲作イデオロギー」に支配されたのではないか。(2018日記【076】2018-11-30)」というところを思い出します。


持統天皇こそが、左脳的と言えるのではないでしょうか。


それに対し、額田王(ぬかたのおおきみ)はあまりにも右脳的です。


【写真】駿府城/SONY DSC-RX0

ふと思い立って、徳川家康に縁のある城を見に行きました。駿府城、発掘中。


e0022344_03300737.jpg








トラックバックURL : https://kugayama05.exblog.jp/tb/27754590
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented at 2018-12-27 03:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kugayama2005 at 2018-12-28 01:36
確かに、穀物のない世界を考えたら、ニンゲンがこんな形でうじゃうじゃいるってアリエナイ。
by kugayama2005 | 2018-12-27 00:55 | 2018日記 | Trackback | Comments(2)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005