2019日記【004】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 39

西暦663年 白村江の戦い

西暦672年 壬申の乱


この9年間にこだわっていると先に進めないので、一応まとめに入ると、


1 弟(後の天武)は九州に残り、敗戦処理の矢面に立った。ここで私見だが、うののさららは夫(後の天武天皇)のもと(九州)に残ったのではないか。なぜなら、壬申の乱前後、そしてそれ以降、天武・うののさららの思いが強く一致していくからだ。そういう同志的な強い結びつきは、ともに危機に遭遇してこそあらわれる。


2 唐・新羅の強い賠償請求。捕虜の返還交渉。いずれも経験のない事態だ。官僚たちが奮闘したのだろう。


3 西国の有力者たちも、平静ではいられない。多くの働き手を失ったのだ。


4 最前線の防衛体制構築のため、東国から拉致同然で防人を補充したが、そこにも不満が渦巻いている。


【写真】金沢城/SONY DSC-RX0

城ファンではないのですが、勢いで、加賀百万石。金沢城址内に残る、旧陸軍第6旅団司令部庁舎。


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by kugayama2005 | 2019-01-04 07:07 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005