2019日記【006】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 41

白村江の戦い(西暦663年)~壬申の乱(西暦672年)の間9年に関連して


◾️律令編纂へ


天智、天武、持統は、時代を共有した。特に、天武、持統は最前線で事態の推移を経験した。


唐の政治(軍事)圧力は、なんとかしのいだ。しかし、唐の組織力には圧倒されただろう。


大化改新以前から、隋・唐の法制資料は入手しており、大化改新では一部整備された。大化改新以前にも、厩戸王(聖徳太子)はじめ、改革に着手はしている。しかしそれらは理念としては存在したが、実質は古来の制度が機能していたのではないだろうか。


しかし、白村江敗戦後の外交交渉の過程で、制度の脆弱性があらわになった。国際社会に通用するものではなかったのだ。さいわい、白村江後に統一新羅が誕生して、唐軍は半島から撤退したので、唐が攻めてくるということはなくなった。


唐に対抗する国は日本だけという状況で、制度的不備を克服する機会は「今しかない」、というのが天武・持統の強い思いだったろう。


(西暦646年に大化改新が発布されているが、瀧川政次郎氏は「日本法制史」のなかで「(大化改新の)支那風の統治権の思想は、単に思想として輸入されたに過ぎない」との旨、指摘されている)


【写真】高岡城/SONY DSC-RX0

城ファンではないのですが、勢いで。高岡城は再建されず、城址公園になっています。


e0022344_20383475.jpg










トラックバックURL : https://kugayama05.exblog.jp/tb/27777720
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by kugayama2005 | 2019-01-06 00:52 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005