2019日記【007】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 42

白村江の戦い(西暦663年)~壬申の乱(西暦672年)の間9年に関連して、


◾️壬申の乱


壬申の乱についてはあまりに多くが語られているので、数点だけ考えを整理しておきます。壬申の乱とは、叔父(後の天武)が甥・大友皇子(崩御した天智天皇の息子で近江朝の皇太子)を攻め、敗れた大友皇子が縊死するという悲惨な出来事です。うののさららにとっては、大友皇子は異母弟。


・天智天皇の崩御と、(後の)天武+うののさららの吉野隠棲。私見、やはり白村江の敗戦処理は、相当に困難を極めた。(後の)天武も疲れ果てていた。それに加えて、基本的に兄弟での皇位継承には消極的だったのではないか。「吉野隠棲」仮装説、つまり天智天皇から譲位を受けずに身の安全を確保しつつ、実力で天皇になる戦略、という説は間違えではないか。天智朝の負の遺産を引き受けたくなかった、というのはわかりやすいが、後の解説であろう。


・天武+うののさららの吉野隠棲は、本気だったと思う。天智天皇直系の男子、大友皇子が近江朝を継いで、うまくいけばそれでいいではないか。


・あるいは、天智天皇が譲位をほのめかして、(後の)天武が断り、その場で剃髪して出家する、その前後の史話が全て善意の潤色である可能性もある。なぜなら、その部分を記述した人も、それを採用したひとも、その後の展開をすべて知っていて書いているからだ。


・天武+うののさららの吉野隠棲(近江朝脱出)が自然な成り行きだったとして、一方、律令国家建設がやり残した仕事として心の底にわだかまっていたのも事実だ。


【写真】高岡城/SONY DSC-RX0

城ファンではないのですが、勢いで。高岡城は再建されず、城址公園になっています。ただ広がる雪原、古城の夢。


e0022344_20393498.jpg







トラックバックURL : https://kugayama05.exblog.jp/tb/27778910
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by kugayama2005 | 2019-01-07 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005