2019日記【012】日本の「農業化」と律令制崩壊過程 47

近江令

 ・天智天皇が、国際基準(唐)に近い法的な基盤を求めた(大化改新の現実化を模索)。権力を天智天皇ー大友皇子ラインに集約した。


壬申の乱を経て


飛鳥浄御原令

 ・天武天皇が、既存の貴族・官僚を天武系に再編した。より現実的な執行体制。


これらの動機は、すべて白村江敗戦からスタートしている。それまで文献(思想)として把握していたにすぎない国際基準が、実態として天皇政権を痛打したのだ。


天智天皇崩御後の、大友皇子は、才能豊かな若者として記録されているが、日本の津々浦々に起こった動揺については知らなかった。あるいは、近江朝への放火が多発したということを知らないはずはないので、知ってはいたがどうしようもなかった。


結果は、権力を集中した大友皇子が窮地に陥って、身軽になった大海人皇子(後の天武天皇)に期待が集まっていく。


大海人皇子(後の天武天皇)を支持したのは、貴族や高級官僚ではなく、幅広い実力者だったのではないか。その後、律令国家を換骨奪胎して、律令制の非現実部分を手がかりに登場してくる、そこまでまだ100年はかかるが。


【写真】富山城/SONY DSC-RX0

城ファンではないのですが、勢いで。富山城は、高岡城とともに前田家の支城です。


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by kugayama2005 | 2019-01-12 00:10 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005