2019日記【042】斉明(天智・天武)持統期の心的推移 19

▪️軽皇子(後の文武天皇=持統・天武の孫)が安騎野に宿ったとき柿本人麻呂が作った歌


やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 宮(みやこ)を置きて 隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山は 真木立つ 荒き山道を 石(いわ)が根 禁樹(さへき)おしなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 阿騎の大野に 旗すすき 小竹(しの)をおしなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしへ)思ひて


「やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと」は、天武天皇のことだろう。なぜなら、「太敷かす 宮を置き(統治のための立派な藤原宮を置いた)」のは、天武・持統の二人であって、息子の草壁皇子や、孫の軽皇子は何も関係がない。


「我ご大君」や「日の皇子」は、草壁皇子や軽皇子を連想させつつ、実は天武天皇(の神話=歴史性)のことを言っている。


それ以降の大部分は、道程について、実に折り重ねるように丁寧に述べている。これは、道程の先で、かつて壬申の乱の際、大海人(天武天皇)が吉野を出て、うののさらら(持統天皇)とともに向かった道に合流するからだ。


その道を進めば伊勢に出るし、左折していけば当面の集結地だった桑名に出る。おそらく大海人(天武天皇)は伊勢に出て、海路で桑名に向かい、多くの人は直接桑名に向かった。付言すれば、右折していけば要衝熊野に出る


「安騎野の冬猟」の道行きは、呪的な意味もあるが、軍事的な側面も強い。


最後に、「夕方ちかく雪が降ってきた。ススキや笹を押し倒して草枕とし、過去を思いながら宿った」ということだ。「古(いにしへ)思ひて」という結語によって、この長歌全体の示しているテーマが突然明らかになるのだ。


狩の風景がまったくないのですが、「安騎野に宿ったときの歌」と明記されているので、狩より宿りがテーマなんですね。


※「安騎野」「阿騎野」の表記違いは白川静先生の真似。


【写真】富山地方鉄道(立山線)沿線/SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-02-11 02:53 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005