2019年 02月 09日
2019日記【040】斉明(天智・天武)持統期の心的推移 17
柿本人麻呂
◾️東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへりみすれば月傾(かたぶ)きぬ
【私訳】
未明の東の野に、登りくる日の兆しが見えている。これは軽皇子(後の文武天皇)の近未来を暗示している印だが、それが如何なものなのか、わかる力がいまの私にはない。返り見ると、薄い氷盤のような月が、傾いて西の漆黒に堕ちようとしている。これは、不幸な死を甘受した草壁皇子の姿にちがいない。母の慈愛により、ふたたび新たなより賢い生を受けるだろう。
今、夜明けを迎えるこの冬の地に、いざ近江へ向かわんとした彼らの祖父であり父である「あまの ぬなはら おきの まひとの みこと」(天武天皇)の威霊が満ちてきているではないか。東の空の暁も、すめらみことが焼き放った名張の幻火だろうか。
草壁皇子がそれを手にすることがかなわず、軽皇子がそれをまだ得ていない霊だ。私に言えることは、このような、もうなく=まだない時にあって、それを知るのは詩の言葉のみに違いないということ。
【写真】富山地方鉄道(立山線)沿線/SONY DSC-RX0