2019年 02月 10日
2019日記【041】斉明(天智・天武)持統期の心的推移 18
693年の冬至、安騎野の冬猟について。
一番有名な短歌から読んでみたのだけれど、「安騎野の冬猟」は一つの長歌と、四つの短歌からなっている。ばらばらに読んでも意味がない。
冒頭の長歌では、
朝、藤原宮から出立し、「荒山道」を越え、安騎野に到着する、夕方には雪模様となり、その地で「草枕」の「旅宿り」をする
ということが歌われている。
主人公は、軽皇子(かるのみこ=持統天皇の孫、後に皇位継承し文武天皇)。軽皇子は、当時11歳の少年。
この「安騎野の冬猟」は、持統天皇の企画であり、主な目的は、軽皇子に天皇たる資質が見いだせるかどうかという、最終試験ではなかったか。持統天皇のことだから、この狩で資質が見出せなかった場合、あっさり天皇候補から外すことも考えていたと思う。(通常、持統天皇は孫への強い愛ゆえに、軽皇子の即位へ決意をもって臨んだと考えられているが)
藤原不比等など高官は、軽皇子が天皇にふさわしいと内心では決めていただろう。柿本人麻呂は、皆の心の内を知ったうえで付き従ってきたのだ。
2019-02-08で経路を探したが、藤原宮から安騎野までは、徒歩でも三時間程度だ。朝出れば、昼近くには着いてしまう。昼からと翌日、狩をしたのだろうか?
【写真】富山地方鉄道(立山線)沿線/SONY DSC-RX0