2019日記【050】斉明(天智・天武)持統期の心的推移 27

初期万葉集について今回気づいたこと。柿本人麻呂の冬狩の歌について。


「吉野ー安騎野(宇陀)ー熊野(伊勢)」というラインが強く意識されている。


以前ふれたように、天武・持統が近江朝を打ち倒すために向かった道だ。吉野や安騎野(宇陀)から見て、太陽の登る方向に、熊野や伊勢がある。


そしてこのラインは、神武の東方進出の最後に、熊野からやっとヤマトの地にたどり着いた道筋でもある。


ところで、徐福伝説も同じように、熊野に逢着している。(不老不死の霊薬を求めて大陸より渡海し、平原広沢がある場所に定住して王となった。平原江沢と言うからには、もし紀伊半島であれば海岸線ではなく内陸部だろう)


つまり、伝説が事実であるかどうかは別として、西方から航海してくる「異邦人」が日本列島に取り付く、一つのパターンなのだ。


神武の東方進出は、過去に日向の地にたどり着いた者たちが、さらに先住民の合間に点在する同族を求めて、東へ航海する物語ではないか。「長髄彦」は、最も東の平原広沢に進出していた同族だと思う、妄想。


柿本人麻呂は、当時収集が進められていた、古事記や日本書紀の原史料を、見ていた。持統天皇との親密な関係からして、当然だろう。


史料をひもとけば、ヤマトの地にとって、天皇一族が「異邦人」であることは一目瞭然で、もし天孫降臨を接ぎ木した神話と解すれば、いったいどこから来た人たちなのか?、という不都合な問題に行き当たる。


持統天皇、藤原不比等、柿本人麻呂は情報を共有していた。持統崩御後、人麻呂が排除されたのも、低位の官僚にしては知りすぎた男だったからだろう。


【写真】富山地方鉄道(立山線)立山駅/SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-02-20 02:07 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


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