2019年 03月 30日
2019日記【088】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 8
◾️神武東征がなぜ「帰還」なのか? 2
神武東征(実は帰還)の出発
1 長老・塩土翁(しおつつのおじ)が言う。「東に良い土地がある。この国の中心地である」
つまり彼らは、日本列島の中心は畿内だ、という地理感を持っていた。それだけではなく、人的な往来もあったはずだ。
2 日向から船出し漁人に案内を乞う
陸伝いに船を進め、臼杵あたりで水先案内人の海人を乗船させる。そこで合流する予定だったのだろう。「山彦」の孫たる「彦ほほでみ」一行には、海路は難しいのだ。
宇佐で宇佐津姫をメンバーにして、その夫にした人物が中臣氏の先祖だという。後の藤原鎌足は中臣氏といわれている。宇佐には今、宇佐神宮があり、全国の八幡神社の総本社だ。
八幡=八波多(八重の海)と解すれば、元は海神だろう。航海の安全を祈願しつつ、海人に「顔のきく」有力な同行者を乗船させた。「宇佐の姫が乗船している」というだけで、誰も手出しはできなかった。実際に宇佐姫が乗っていたかというと違うかもしれないが、宇佐姫の新夫はいた。
【写真】春のミサゴン劇場 急降下
EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM