2019日記【088】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 8

◾️神武東征がなぜ「帰還」なのか?


神武東征(実は帰還)の出発


1 長老・塩土翁(しおつつのおじ)が言う。「東に良い土地がある。この国の中心地である」


つまり彼らは、日本列島の中心は畿内だ、という地理感を持っていた。それだけではなく、人的な往来もあったはずだ。


2 日向から船出し漁人に案内を乞う


陸伝いに船を進め、臼杵あたりで水先案内人の海人を乗船させる。そこで合流する予定だったのだろう。「山彦」の孫たる「彦ほほでみ」一行には、海路は難しいのだ。


宇佐で宇佐津姫をメンバーにして、その夫にした人物が中臣氏の先祖だという。後の藤原鎌足は中臣氏といわれている。宇佐には今、宇佐神宮があり、全国の八幡神社の総本社だ。


八幡=八波多(八重の海)と解すれば、元は海神だろう。航海の安全を祈願しつつ、海人に「顔のきく」有力な同行者を乗船させた。「宇佐の姫が乗船している」というだけで、誰も手出しはできなかった。実際に宇佐姫が乗っていたかというと違うかもしれないが、宇佐姫の新夫はいた。


【写真】春のミサゴン劇場  急降下

 EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM


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by kugayama2005 | 2019-03-30 01:37 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005