2019年 04月 05日
2019日記【094】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 14
◾️神武東征がなぜ「帰還」なのか? 8
カピタン・ニギハヤヒ
ニギハヤヒ船長らの行動範囲は、ツガルのトサ湊、北陸各地、イズモの湖岸、北九州のウサ、キビ、古大阪湾、クマノ、イセ、オワリ、東海各地、古東京湾、ヒタチ、古仙台湾、北上川流域などである。
ニギハヤヒ船長の舟、「コズミック・ロック号」は、基本的に商船であるが、時に応じて海賊船、あるいは戦闘艦に変身する。
ニギハヤヒ船長とその仲間たちは、海の縄文人である。縄文人の南下によって、陸の縄文人は、東北からサキタマ、タマ、カヒ、シナノなどに、鹿や猪を追って行ったが、海の縄文人はもっと行動範囲が広かった。
陸の縄文人は、北方系渡来人と出会い、馬産を知った。海の縄文人は、南方系渡来人と出会い、水田稲作を知った。
日向で脱九州を企図していた長老・塩土翁(しおつつのおじ)は、ニギハヤヒ船長の仲間であり、同族とともに日向の窮屈な土地にいる。あるいは、塩土爺とニギハヤヒ船長は、同一人物かもしれない。
「ヒミコの平和」は、すでに終わっていた。
塩ジイは、出雲から来たので、出雲や吉備が、すでに体制の出来上がった大国であることを、よく知っている。
となると、脱九州の先は、畿内ということになる。そこには、同族の国があり、受け入れてくれるだろう。まずは旧大阪湾から上陸できればベストだが、抵抗が大きければ、海の縄文人ネットワークで、クマノかイセあたりから上陸するのが良かろう。さらにそれも陸路が困難なら、縄文人の集散地であるオワリを頼ってもいいが、情報があまりない。
塩ジイはかく語った(だろう)、
1 畿内は古くからわれわれの同族の地であり、約束の地である。われわれの心の古里に、今帰るのだ。
2 海路、まず、ウサの海神に祈り、吉備国に庇護を求めるのだ。
3 畿内には、湾寄りにカツラギ、内陸にモノノベがいる。双方、同族であるが、カツラギは強力で排他的だ。われわれはモノノベと合流するのだ。そのためには、クマノかイセから険しい隘路をたどることになる。
4 ワシは先にたって、説得して回る。吉備で逢おう。
【写真】藪の中
EOS 5DS R/EF400mm F5.6L USM