2019年 04月 18日
2019日記【106】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 26
◾️七支刀(しちしとう)
七支刀の意義は、
1「百済王が倭王に贈呈した」ことと年号が、刀身に金象嵌で明記されている
2 日本書紀の神功皇后52年には、百済の使節が、「七枝刀(ななつさやのたち)を献上したと書かれている。
3 諸説あるが、七支刀が日本に来たのを、372年と仮定する。
辰韓消滅 356年
七支刀 372年
広開土王碑 391年
ここには何らかの連続性がある。
当時の百済の使者は、「山で鉄鉱石を採っている」と言っている。それは、辰韓の秦人が西域から持ち込んだ、製鉄技術だ。そこで製造された鉄材を、倭人も買い求めていた。鉄材は「ねりかね」と呼ばれもし、精錬されていた。
列島では鉄鉱石も発見されず、製鉄はできなかったので、鉄板である「ねりかね」を入手して加工していた。(後に砂鉄や隕鉄から製鉄が可能になった)
【写真】植物園
EOS 5DS R/Apo-Makro-Planar T* 4/120
全貌が現れて・さらにびっくり・・
ヒョウ柄のあやめ?だか・・
昨日のトラ柄なんかも良かったけど・・
花とわかっていても・・そうは思えなかった!