2019日記【132】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 52

聖徳太子(ウマヤトのトヨトミミ)<574622>が送った遣隋使のころの隋書に、倭国の王の名は、阿毎多利思北孤と書いてある。


阿毎(アマ)が姓で、多利思北孤が名だという。多利思北孤は誤記で、多利思比孤だというのが通説。アマ+タリシヒコだ。


隋の役人は、姓があって名があると思うからそう書いたのであって、実はアマタリシヒコが名前なのだろう。


アマタリシヒコは天孫の意味と解釈する人もいるらしいが、私的妄想では、これは天足彦(アメタラシヒコ)だ。実は、遣隋使・小野妹子の一族は天足彦(アメタラシヒコ)で、おそらくニギハヤヒ系だろう。


おそらく小野妹子は、「オオキミ(推古天皇)によって派遣された天足彦(アメタラシヒコ)」と自称し、隋の役人はそれを記録した。


【写真】SUMMILUX 1:1.4/50 LEIZ WETZLAR/春の花ばな/OLYMPUS PEN-F

2019日記【132】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 52_e0022344_18385357.jpg

2019日記【132】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 52_e0022344_18385653.jpg












by kugayama2005 | 2019-05-13 17:13 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005