2019年 05月 27日
2019日記【146】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想66
「日本古代の王権と王統」(篠川賢)による主旨は、「乙巳の変」(蘇我入鹿謀殺)は蘇我氏内の争い、という基調にそっている。
私妄もまた、この時期のオオキミ(天皇)家は、女系でみれば蘇我そのものなのだから、「乙巳の変」は、あっちの蘇我がこっちの蘇我に変わった、という視点はあった。が、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)がこっちの主体とまでは考えていなかった。
なぜなら、日本書紀では、蘇我倉山田石川麻呂は悪意なき人物で、冤罪のために死んだ気の毒な人、というニュアンスなのだ。日本書紀の編さんが始まった持統天皇とその次の世代に、石川麻呂を思慕する強い気持ちがあるのは当然(石川麻呂は持統天皇の祖父)。