2019年 07月 08日
2019日記【188】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 108
柿本人麻呂の海に関する歌は、実感が伴っている。幼少より、海川や船に親しんでいたのだろう。
◾️荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人(あま)とか見らむ旅行く我を
(旅ゆく私の姿を見て、人々はスズキを釣る明石あたりの漁師だと思うだろう)
明石の浦にスズキを釣る。浦というのは海岸線が入り組んでいる岩礁まじりの海だ。そこへスズキが回遊してくる。海人は、50cm以上はあるスズキを掛けて、豪快に抜き上げるのだろう。プロの釣りだ。
「旅ゆく我」は、そいういう海人さながら、小舟に乗って海を行く。
妄想。柿本人麻呂は、摂津国(大阪〜神戸)の凡海(おおあま)氏と関係がある。凡海氏は、幼少の天武天皇を養育したとされている。天武天皇が大海人皇子(おおあまのおうじ)と呼ばれたのもそのためだという。
凡海氏を通じて、少年柿本人麻呂は、天武天皇の周辺に就職?したのだろう。