2019日記【192】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 112

福永光司氏によると、「天皇」や「神社」という文字自体、古代道教の経典に存在するという。ということは、例えば「天皇」は、仏教的、あるいは儒教的概念ではないので、それを採用したと思われる天武・持統朝は、特に道教への傾倒が強かった。


さらに柿本人麻呂の、


◾️大君(おおきみ)は神にし座(ま)せば天雲(あまくも)の雷の上に廬(いほ)らせるかも

◯大君(天皇)は神としておられるので天空の雷の上に仮宮を建てられるのだろう


における「神」も、われわれが近現代で認識している「神」とは、別の概念なのではないか。


福永光司氏は端的に、この神は「道教の神仙、神人の神と重なり合う」として、「神のような人、すなわち人が修行努力して、超越的存在の境地に到達しえたということで、基礎はあくまで人にある」として、仏教系の「現人神」(神が人に姿になって現れる)とは別のものと示唆されている。


【写真】仙山線(仙台山形)SONY DSC-RX0

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by kugayama2005 | 2019-07-12 00:48 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005