2019日記【203】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 123

秦の始皇帝の時代、強烈な中央集権政治を嫌って、周辺に逃げ出した官僚や商人たちも、あてなく流亡したのではない。


半島に馬韓をつくった秦人のごとく、計画性に富んでいたというべきだろう。


中国官僚の記録魔ぶりは驚異的といえる。呉、越、楚がほろびた時、旧支配者層の一部が海外に逃亡した、という記録があったに違いない。


海岸沿いでいえば、揚子江河口あたりから北上して、始皇帝の帝国から亡命しようとすれば、半島や列島に行き着くことは、おそらく先例があった。


福永光司氏は、戦国時代に秦にほろぼされた最後の国、斉(山東半島を含む地域)に逃げ込んだ楚の人々が、斉の滅亡時に船で半島や列島にやって来たと述べられています。それらの人々は、呉・越・楚・斉のいずれもの元官僚が混在して、波状的にやって来たのではないでしょうか。


【写真】山形線(山形米沢)SONY DSC-RX0


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by kugayama2005 | 2019-07-23 01:18 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005