2019年 07月 27日
2019日記【207】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 127
道教について何点か確認しておきたい。
道教とは、仙人と交感し、自らも不死の仙人になることを目的としている。しかし、それは困難だ。
したがって、仙人にはならずとも、その手前の状態になることをまずは考える。心身を健康に維持しなければならず、そのための方法が選定された。
秦の始皇帝(前259年〜前210年)などは、仙人に会いさえすれば、仙人に秘薬をもらうことができ、それを飲めばよいと考えた。始皇帝は、「オレは中国を統べる皇帝だから、必ず仙人は秘薬をくれるはず」と疑わなかった。
しかし、待てども仙人発見には至らなかった。晩年は、仙薬の調合を急いだが、ぽっくり死んでしまった。一説によると、水銀の飲みすぎらしい。仙人になるには、液体の金を飲むのが近道とされていたが、水銀でも一定の効果があると信じられていた。
そういう、仙人に薬をもらえばいい、とか、生成途上の薬でも多少は効果があるだろう、という考えは退けられていく。
その過程で、道教の経典をまとめようとした人がいる。
◾️葛洪(283年〜343年)<抱朴子>
◾️陶弘景(456年〜536年)<真誥>