2019年 07月 29日
2019日記【209】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 129
◾️陶弘景(456年〜536年)「真誥(しんこう)」
・葛洪の時代は、古代的な仙術の世界
・陶弘景は、より洗練された道教体系
とは言っても、陶弘景の「真誥」は過去の記録をさかのぼって編集しているものなので、内容は葛洪の時代に近いものも多いようだ。陶弘景の心中は、渡来新興宗教の仏教が深遠そうな思索を展開していくなかで、道教が「薬を飲んで不老不死」のような側面におちいることに批判的だったのだろう。
ということで、陶弘景「真誥」のごく一部を超訳してみよう。
◾️少女神女(13歳くらい)が降臨
この一件を体験した楊羲は当時36歳、道教の修行者で、女真(女の仙人)から信任されている。
晋哀帝興寧3年(西暦365年)6月25日の夜、紫微夫人が天上界から楊羲のもとに降臨した。夫人は、少女神女(13歳くらい)を連れてきた。少女の名前は、安の鬱姫。
少女の長い上着は朱色で、裾に至って青く変わりきらびやか。緑の刺繍のある帯を締め、そこには10個大小の鈴をつけている。その姿は、雲母がかがやくように、部屋中をきらきらと照らしている。
美しい黒髪を整った髷に結い、余った髪を腰まで垂らしている。指には金環をつけ、腕に白玉を結ぶ。
<次回に続く>
※晋哀帝興寧3年とは、西暦365年だから、実は、「抱朴子」の著者・葛洪(283年〜343年)の時代に近い。