2019日記【227】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 147

◾️天武14年(685年)715  天武天皇は、「天下のことは皇后と皇太子に申せ」と勅した


近江朝滅亡(壬申の乱)は、弟(天武)による、兄(天智)の子(大友皇子)排除だった。それはそれで異常な事態だった。


(ところで最近思うのは、天武は近江朝攻撃に失敗した場合、東国に国を立てる計画だったのではないか。その点については後述)


さて、急ぎ朱鳥と改元したものの効果はなく、天武天皇は崩御。


政務は皇后(持統天皇)が執った。皇太子(草壁皇子)は、もっぱら天武天皇の送葬にあたり、政治には関与していないように見える。


こうして見てみると、壬申の乱終結後(672年)から天武天皇崩御(685年)までの13年は、凄惨な事件もなく、平和な特異期だった。壬申の乱で決着がつき、天皇政権への帰順が進んだ。


白村江の戦いで痛手を負った九州・西国勢も、当時、敗戦処理に懸命だった大海人(天武)の誠意を知っており、支持し、東国勢はそもそも大海人軍の主力だった。


北九州が倭王の都であると思っていた外国も、畿内の統一政権が日本だという認識になった。


柿本人麻呂は、そういう時期に大いに認められ、登用された。仮に人麻呂が壬申の乱時に18歳であれば、31歳までの時期だ。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-08-16 00:45 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


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