2019日記【228】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 148

これまでのまとめ 笑)


東国の(人口増加や気候変動などに伴って?)縄文人たちは西へ移動した

北九州で渡来人と出会い、新しいヒト弥生人となった(西暦0年の佐世保市・下本山岩陰遺跡など)

北九州などで水田稲作が行われ、多くのクニが生まれた

北九州で人口増加がピークとなり、戦乱が起こった(西暦248年ヒミコの死)

北九州周辺国的を離脱するグループが現れ、彼らは東に向かった(ニギハヤヒの東上、神武東征など)


下本山岩陰遺跡的な時代からヒミコの死まで、たった250年。


出九州組が畿内に定住したのを大雑把に、西暦350年とする。


そうすると、その時期から壬申の乱(672年)までは300年しかない。


今から300年前は産業革命の時代で、われわれは産業革命や、ナポレオンや、徳川吉宗を「理解不能な古代のバケモノ」とは考えていない。


したがって、「ヒミコの平和」とその破綻、「出九州ヤマト」と「畿内ヤマトの創建」の経験は、「斉明(天智・天武)持統期」の心的基盤になっており、古事記、日本書紀、初期万葉集などに色濃く投影されている。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1


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by kugayama2005 | 2019-08-17 01:39 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005