2019年 08月 25日
2019日記【236】柿本人麻呂についての私的妄想3
◾️壬申の乱と近江荒都
折口信夫は、柿本氏は春日氏の支流で、飛鳥の北辺に本拠地があり、その地は大規模な一族・春日氏の地に近く、宮廷の地の北辺の地境だ、という。
春日氏は、春日信仰に依る集団で、春日信仰は藤原氏の氏神だ。藤原氏は中臣氏のなかでも主に山地に依り、春日信仰も山岳・龍神雷神を説く。
山岳信仰、鹿島から鹿に乗って神の到来。東国的(縄文的)な背景。
折口信夫は、柿本人麻呂は、このような信仰集団の「巡遊神人」であった、と推定している。そうであったとすれば、人麻呂は、「巡遊神人」あるいは「巡遊神人」から抜擢された朝廷の舎人として、壬申の乱を経験したことになろう。神人も舎人も、身分は低い。
(672年(19歳)壬申の乱)
(680年より前 柿本人麻呂、宮廷歌壇に登場)
◾️近江荒都歌1 (天武天皇の最晩年のころ?)
◾️近江荒都歌2 (万葉集の配列による推定=688年ころ)
※年齢は今のところの推定
※参考書
「全現代語訳 日本書紀」宇治谷 孟
「万葉集 釋注一」伊藤 博
「折口信夫全集第九巻」(昭和30年)