2019日記【237】柿本人麻呂についての私的妄想4

◾️壬申の乱と近江荒都


折口信夫「柿本人麻呂は、「巡遊神人」であったのであろう」


神人とは、神社の下級職で雑事にあたるのだが、神社そのものの管理よりも、布教の下支えをするのだろう。巡遊というわけで、拠点から拠点へ営業して回るわけだ。そうしているうちに、小商いもし、芸事にも手を染め、漁労も手伝ったりする。身過ぎ世過ぎなのだ。


大集団春日氏のもとを離れて、和邇(ワニ)神を祭る和邇氏が近江の地に至り、小野神を祭る小野氏と新しい拠点をつくる。「小野神祭りに参与する各地の氏人の中に、柿本氏もいた」と折口信夫はいう。


JR湖西線に乗って北上し、琵琶湖大橋のあるあたりを過ぎると、「小野」という駅があり、次の駅は「和邇」。そのものズバリすぎて、“笑けてしまう”。


2019日記【237】柿本人麻呂についての私的妄想4_e0022344_16251062.jpg

2019日記【237】柿本人麻呂についての私的妄想4_e0022344_16251571.jpg

















by kugayama2005 | 2019-08-26 00:10 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005