2019年 09月 03日
2019日記【245】柿本人麻呂についての私的妄想12
さて巡遊神人・柿本人麻呂、先輩について神社運営・フランチャイジーの管理・祝詞デリバリーなどに励む一方、陸路・海路での移動の習熟、地域事情の知識獲得などを重ねた。地域地域の風俗、歌舞音曲を知った。おそらく副業として地域の珍しい特産物を仕入れてきた。
中世では人身売買も密かに、あるいは大っぴらに(山椒大夫にある安寿と厨子王のように北陸道あたりでも)、あった。古代においてはなおさらだ。まさか人麻呂は人さらいまではしなかったと思うけど、知っていたと思う。
◾️柿本人麻呂が巡遊神人だったとして、彼の少年期の才能を妄想してみよう。
神人という低い地位で、祝詞をあげることが許されていたかどうかは不知だが、おそらく、人麻呂は人気があった。小野・和邇系は多くなさそうでも、中臣(藤原)系の神社は多数あったろうから、各地の祭事に派遣されているうち、天才少年として認知された。
そうでなければ、後に朝廷の舎人に推挙されなかっただろう。
柿本人麻呂を朝廷に推挙した人物を、大胆に妄想すると、それは、
◾️凡海麁鎌(おおあまのアラカマ)一族