2019日記【249】柿本人麻呂についての私的妄想16

壬申の乱は白村江敗戦の清算でもある。


天智天皇は、白村江敗戦の責任でがんじがらめになった。当人は、母斉明天皇に引きずり回されただけだったが、出兵した西国の、敗戦対応で使役された東国の負担と怨嗟は大きかった。


斉明天皇の崩御で、出兵取り止めのチャンスはあったかに見えるが、どうだろう。


北九州勢力と、畿内勢力は、この頃までは拮抗していたのだろう。北九州勢は、百済を一部復興し、そこに事実上の傀儡政権ができれば、畿内を圧迫できる。斉明天皇はおそらくその点で北九州勢を煽り、畿内の損耗を防ぎつつ、最終的には漁夫の利を得ようとしたのではないか。


結果的には、唐軍本体の参戦が敗因だが、新羅の外交手腕ともいえる。唐は半島派兵を機密にし、長安にいる遣唐使を軟禁するという徹底ぶりだ。


それらの失敗の責任は天智天皇に重くのしかかったが、皇太子だった大海人皇子(後の天武天皇)も責任を逃れることはできない。皇位を兄から継ぐことは、全責任を負の遺産として受け取ることになる。


天智天皇が崩御して、その直後になんらかの清算を行うしかない。近江朝と大友皇子は、その清算の代償として滅び去った。


【写真】湾ねこ SONY DSC-RX0  VCT-SGR1

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by kugayama2005 | 2019-09-07 00:00 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005