2019年 10月 08日
2019日記【280】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 162
承前:
大海人軍の瀬田橋突破のきっかけとなった勇士・大分君稚臣(おおきだの きみ・わかお)。
名前からすると、大分出身の君さんちのワカオ君だが、なぜ大分の人が大海人軍にいて、近江朝を攻めているのか?
どうやら、近江朝にいた大海人皇子の息子たち(高市・大津)が父の挙兵に際して近江朝を脱出。その脱出の指示を大海人皇子から受け、近江朝に潜入したのが大分恵尺(おおきだの (きみ)・えさか)で、皆は伊勢国で落ち合う手はずになっていた、それにワカオ君も同行したようだ。エサカ・ワカオは兄弟ではないか。
エサカは675年に、「日本書紀」に丁寧に記録された勇士ワカオも、679年に亡くなっている。なお、大分(おおきだ)氏は、多(おお)氏の一族だそうだ。
【写真】瀬田橋近く SONY DSC-RX0