2019日記【300】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 182

承前:


◾️小子部連鉏鉤(ちいさこべの むらじ さひち) 尾張国司守


壬申の乱(672年)で大海人軍に参加。尾張勢の合流がなければ、そもそも兵力が足りなかったはずだ。近江朝の国司がなぜ大海人側に?


◾️噛み砕いて空想を書けば、


小子部連鉏鉤「尾張国はもともと群雄が割拠して、争いごとも多い。それらの猛者を一人ひとり諭し、大海人皇子の挙兵に合流することと決した。折しも朝廷より徴用の令がくだったので、白昼堂々と挙兵の準備ができたとは奇貨である」


朴井雄君「よくぞ決意されました。尾張勢2万なくしては、近江朝に太刀打ちできません。私は、美濃、伊勢、伊賀と駆け回って同盟を結びましたが、尾張国抜きでは如何ともしがたいのです」


小子部連鉏鉤「飛鳥でも、近江でさえ、朝廷に対する失望の声を隠す者さえいなくなった。朝廷の御蔵に放火する者まで現れる始末だ。大友皇太子に罪はないが、その軽薄さが露呈したことは否めぬ。近江朝の軍は、戦って死する覚悟はないであろうから、瀬田川が破られれば壊滅、敗走するであろう。近江朝の重臣どもは、大海人皇子が吉野から東国へ移られたと知るや、邸を打ち棄てて逃げ出すであろう。そういう連中なのだ。身命を惜しまず、朝廷をお諌め申し上げるのも、わが天命。しかし、兵を用うるのは易いが、収めるのは難しい。朴井殿はどうお考えかな?」


朴井雄君「実のところをお話ししておきましょう。われらは、近江朝の動きの逆を巧みに行います。近江朝は東国の兵を動員して、東海道、東山道を制圧、大和から吉野に兵を急派して、大海人さまを亡きものにしようと謀っている。しかしわれらは、逆に機先を制して不破関、鈴鹿関を封鎖するので、東国としては負けない戦になります。場合によっては、東国に大海人朝をうち建てます。その上で、すでに近江国、伊賀国には兵力を浸透しておるから機を見て進退を決める。伊賀方面ではすでに優勢だ。大和では、在地の大海人側の士が乱戦を仕掛けるでしょう。近江には、不破関を越えて決戦を挑み、そこでふた手に分かれて、一方は瀬田川を目指し、一方は湖西へ迂回して北陸道を抑えながら近江朝に北から迫る。吉野に大海人さまを包囲しようとした近江朝が、逆に包囲されて行き場がなくなるというわけです。小関越えで大津から山科に抜ける道は、あえて開けてあります。逃げたい者は、そこから逃げればよい。われらは近江朝からやや離れて布陣するでしょう。漁師姿になった神職らが、行き来して、和戦を探るでしょう」


小子部連鉏鉤「そこまで至ったならば、私を使者に立ててほしい。後世の者は、私を蝙蝠と呼ぶだろうが、構わぬ」


朴井雄君「大友皇太子の御身体は、われらが物部の麻呂と申す者がお庇い申し上げて、単身山地の仮宮にご安心いただく手配です。近江朝に仕えた群臣も、多少の謹慎期間はあれども、赦されて元の通りお仕えできるでしょう。小子部殿も御存知の通り、大友皇太子を誤った道に導いたのは、ほんの数人の重臣だ。御心の広い大海人さまは、よくわかっていらっしゃる」


小子部連鉏鉤「お気遣いはありがたいが、そうはいくまい。朴井殿、最後にひとつだけ私を欺かれたな。胸襟を開いてお話頂いたので、私も一言申し上げておこう。物部麻呂という士、警護のために皇太子に付くわけではなかろう。大友皇太子の身に何かがあれば、私はその場で抜刀するつもりだ」


【写真】京阪石山坂本線(比叡山坂本⇄石山寺)SONY DSC-RX0

2019日記【300】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 182_e0022344_16291757.jpg

2019日記【300】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 182_e0022344_16292076.jpg

















by kugayama2005 | 2019-11-07 03:05 | 2019日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005