2019年 11月 12日
2019日記【305】斉明(天智・天武)持統期に至るまでの私的妄想 187
壬申の乱が、ーーーそこまで「日本国」が東国に負担をかけるなら、われわれ東国も「日本国」の運営に参加させろ、という実力行使を含むものだったとして、
防人の徴兵は、(通説)遠江以東に対して行われたけれども、美濃、尾張、伊勢などの大海人方の中心勢力はどういう立ち位置だったのだろう。私的仮説としては、「白村江敗戦直後の防人懲役は美濃、尾張、伊勢などを対象に緊急に行なわれた」と想定している。なぜなら、遠江以東からの徴兵では、おそらく間に合わないからだ。壬申の乱の結果、防人徴兵は「遠江以東に押し付けられた」のではないか。。
天武天皇は亡くなる前、東国に対する減税など優遇措置を連発しているが、それは論功行賞というよりは、「充分に東国に配慮している」という融和策に思える。逆に、東国に配慮しておかないと、再び壬申の乱まがいが起こってしまうという憂慮もある。
壬申の乱の根源に、百済再興戦争の戦争責任問題があったという仮説をもとに考えると、天武政権とは、その戦争責任をぎりぎりのところで回避できたと言える。