2021年 01月 23日
2021日記【023】古代の普遍と特異265
承前:
いずれにせよ「天平の天然痘パンデミック」が、日本に与えた影響は大きかったはずだ。かなりいいかげんではあるけど、次を考える。
1 朝廷の奥深くまで伝染した天然痘は、行政のトップだった藤原四兄弟を軒並み斃す。ということは、平城京の感染者、死者は相当多かったはずだ。
2 藤原広嗣の乱が九州で起こり、聖武天皇は都を出て彷徨する。結果、乱は鎮圧されるが、北九州の各国は天然痘による激しい人口減と、対朝廷戦によって消耗し影響力を失った。
3 異端視されていた行基と、聖武天皇は協力関係を結び、奈良の大仏をつくる。聖武天皇が仏教に傾倒していくのも、天然痘の影響だろう。
※聖武天皇は、藤原四兄弟による長屋王の謀殺(長屋王の変)を許した、あるいは傍観した。その結果、長屋王という改革者を失った。さらに、藤原四兄弟が病死。聖武天皇の父は文武天皇(天武・持統の孫)、母は藤原宮子(藤原不比等の娘)。