MAYSA(マイーザ)「夜のカンソン」(アナログで聴いてみよう40)

マイーザ(マイーザ・マタラーゾ)の音盤があまりに少ないし高いので、アタマに来てけっこうブラジルから直買した。マイーザは15歳で大財閥に嫁入りし(三井とか三菱程度のチンケな財閥ではなく世界指折りの、であるという)、その後の波乱の生涯は多く語られている。でもいまだに全貌はボクにはわからない。彼女はサンパウロの人間で、最期はリオの海を渡る橋の上、車で激突死した。リオに来たということは、彼女にとって何だったのか。彼女が嚆矢となったサンバ歌謡は、リオではレオン家のサロンにおいてボサノヴァへと窯変をとげて(注)いったのである。彼女はとおくサンパウロからそれを望見していたが、たまらずリオへとのぼってきたのではないか。(リオに来てから彼女は「ボサノヴァの小舟」という大ヒットを飛ばしている)

このアルバムは、入門篇のような構成の日本版で、サンバ歌謡(カンソン)以外に、サンバの定番「Tristeza」やフランス語で歌っているシャンソン「Ne me quittes pas」などが入っていて面白いし、ろうそくの炎のような“ゆらぎ”のある彼女の声をなまなましく感じることができる。なお、日本を初めて訪問したブラジルの有名歌手はマイーザだということ。1960年、レアル航空の日本への初航行を記念してだそうだ。その際、NHKのインタビューがあり、マイーザが一曲歌うまえにコニャックをグビッと一飲みしたのでNHKのヒトは仰天していたそうだ。

(注)ボサノヴァの誕生はレオン家のサロンでではなく、ジョアン・ジルベルトがアントニオ・カルロス・ジョビンを訪問し、ジョビンが「想いあふれて」(詞はヴィニシウス・モライス)をジョアン・ジルベルトに提供した時、とされている。しかし、レオン家にふらりと誰も知らないジョアン・ジルベルトが入って来て、今でこそだれしもそれがボサノヴァだと知っているそのスタイルで歌いだした日は、ボサノヴァにとって特別な日とされている。

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Commented by nightly at 2006-03-11 00:08
やっぱり、目力!ですなー・・・。いろいろ勉強させてもろうとります!おおきに!!
Commented by kugayama2005 at 2006-03-11 16:36
唇が少しよじれているところが女の情念を感じさせます。この緑の瞳にさされると男はおかしくなってしまいます。おかしくなってみたいですね。自殺だったと思いますよ事故じゃなくて。
by kugayama2005 | 2006-03-09 01:06 | ♪音楽の楽しみ(北中南米) | Trackback | Comments(2)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005