2021年 05月 09日
2021日記【130】境界と自由11
「桟敷崩れ田楽」落書(1349年)の作者像
1 作者本人かその周辺の人が筆記して残した、というのが自然だ
2 百姓町人ではなく、内容からして武家ではない。僧でもなさそうだ。
3 下級官僚ではないか。
作者が下級官僚だという理由
1 紙背文書で見つかったこと。作者本人かその周辺の人が紙面に清書しておいたものが、行政文書の廃紙に混ざって流出した。
2 昼に行われた田楽の事故の情報を、事故後速やかにつかんでいる。現場から帰って来た同僚の者から、事故の内容を聞いて、すぐ落書作りに取り掛かったのだ。
3 現場にいて平城京に戻った者(情報源の男)は、最後まで状況を見たわけではなく、事故発生後直後に現場を離れた。
4 情報源の男は、桟敷の前後にいて桟敷席が崩れて、多くの観客が転落し、死傷するのを見た。桟敷席は有料席で、貴族や高僧、武家が多くいた。
5 作者および情報源の男は、夕刻集まって、一杯交わしながら例えば連歌もどきなどを行っていたグループだろう。
6 落書では、左大臣二条良基や天台座主も特等席から転落したことになっている。また、役者花夜叉も重傷を負ったかのように書いている。それらはおそらく事実ではなく、作者および情報源の男らの創作だろう。
7 落首をつくり、それを板に墨書し、現場まで行って柱に釘で打ちつけたのだが、その夜は大雨だったらしい。慣れていないとできない作業だ。おそらく、日頃から落書をつくって都に貼り出す趣味人だったのではないか。
落書7首中
3首 足利尊氏と源氏を批判
1首 左大臣を茶化す
1首 天台座主を茶化す
1首 田楽役者を茶化す
1首 猿楽を茶化す
※作者および情報源の男らは、「反源氏」とともに「関東嫌悪」というわけで、それは京都人共通の感情だったろう。


