2022年 05月 29日
2022日記【148】お釈迦様、最後の旅10
11 お釈迦様は、首相ヴァッサカーラに7項目(7不退法)を説いてしばらくして、アーナンダに命じた、
「アーナンダよ、この王舎城の内外に住む比丘(bhikkhu=修行者)を講堂に集めなさい」
12 比丘たちが集まるとお釈迦様は、(その法を守れば繁栄し衰退することのない)7不退法を比丘たちに説いた。比丘たちが修業するにあたって、さまざまな困難に出会っても、解脱への道を間違わないための懇切丁寧な説法だった。
13 お釈迦様は王舎城に心ゆくまで滞在して、アーナンダに言った「さあアーナンダよ、アンバラッティカー園に行こうではないか」と。お釈迦様はアンバラッティカー園の王の家に住み、修行者たちに法を説いた。アンバラッティカー園に心ゆくまで滞在すると、お釈迦様はアーナンダに言った「さあアーナンダよ、ナーランダーに行こうではないか」と。
14 お釈迦様は、弟子たちを引き連れてナーランダーへ行き、そこに住まわれた。シャーリプトラ(漢訳名:舎利弗)がそこにやって来て、お釈迦様に面会した。
※ナーランダーは、後にチャンドラグプタの時代(マウリヤ朝)に栄え、寺院や大学に多くの仏教関係者が集まった。
中世には仏教教学の中心地となり、玄奘三蔵など中国人もここに学んだ。もちろんお釈迦様が滞在したころは町ではなく、また、現在も農村らしいが、広大な地域に多くの仏教遺跡が発掘されている。
※玄奘三蔵「大唐西域記」によれば「ナーランダーはアームラという長者の荘園だったところを、500人の商人が大金を出して取得し、お釈迦様に寄進した」とある。商業の発展とともに、新しい資本家層が生まれたが、彼らはカースト上位者ではないだろう。お釈迦様の支持者像の一面が見てとれる。

