2022日記【148】お釈迦様、最後の旅10


11 お釈迦様は、首相ヴァッサカーラに7項目(7不退法)を説いてしばらくして、アーナンダに命じた、


「アーナンダよ、この王舎城の内外に住む比丘(bhikkhu=修行者)を講堂に集めなさい」


12 比丘たちが集まるとお釈迦様は、(その法を守れば繁栄し衰退することのない)7不退法を比丘たちに説いた。比丘たちが修業するにあたって、さまざまな困難に出会っても、解脱への道を間違わないための懇切丁寧な説法だった。


13 お釈迦様は王舎城に心ゆくまで滞在して、アーナンダに言った「さあアーナンダよ、アンバラッティカー園に行こうではないか」と。お釈迦様はアンバラッティカー園の王の家に住み、修行者たちに法を説いた。アンバラッティカー園に心ゆくまで滞在すると、お釈迦様はアーナンダに言った「さあアーナンダよ、ナーランダーに行こうではないか」と。


14 お釈迦様は、弟子たちを引き連れてナーランダーへ行き、そこに住まわれた。シャーリプトラ(漢訳名:舎利弗)がそこにやって来て、お釈迦様に面会した。


ナーランダーは、後にチャンドラグプタの時代(マウリヤ朝)に栄え、寺院や大学に多くの仏教関係者が集まった。

 中世には仏教教学の中心地となり、玄奘三蔵など中国人もここに学んだ。もちろんお釈迦様が滞在したころは町ではなく、また、現在も農村らしいが、広大な地域に多くの仏教遺跡が発掘されている。


玄奘三蔵「大唐西域記」によれば「ナーランダーはアームラという長者の荘園だったところを、500人の商人が大金を出して取得し、お釈迦様に寄進した」とある。商業の発展とともに、新しい資本家層が生まれたが、彼らはカースト上位者ではないだろう。お釈迦様の支持者像の一面が見てとれる。


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Commented at 2022-05-30 02:42
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Commented by kugayama2005 at 2022-05-30 18:29
仏教はお釈迦様の死後、どんどん思弁にのめり込んでいったから、科学にならなかったのでは。さらにカーストは職人を卑下していたし。おそらく科学の萌芽はバビロンにはあって、ユダヤ人のバビロン捕囚(周辺の諸民族をバビロンに集めた一環)をみても、実はユダヤ人のインテリは自由な生活をしていたので、旧約聖書の一部をまとめ始めた。オリエント出身の天文学はもちろん、錬金術や魔術を研究する学者もいたはずだし、国際的、学際的な環境の中で相当な結果を残した可能性がある。西洋史ではバビロンは野蛮で淫猥な国にされているが、それはごく一面に過ぎないはず。
Commented at 2022-05-31 05:21
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Commented by kugayama2005 at 2022-06-01 12:35
シュメールは法典を生み出して、それを受けてバビロンはハンムラビ法典に発展させた。神権が少なくとも法の支配の萌芽にまで行っているのに、民族国家はどっちかというと倫理に走っちゃうんだろうか。ユダヤ人は神権を究極の倫理に固めたから、かえって倫理に抵触しないケースで金融や学問に邁進できたのでは?(さらにイエスを含むユダヤ人がローマ帝国を理解できなかったのは、ローマ法を理解できなかったからでは?)
by kugayama2005 | 2022-05-29 17:00 | 2022日記 | Trackback | Comments(4)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005