2022日記【158】お釈迦様、最後の旅20


36 お釈迦様が竹林で雨季の定住(雨安居)に入られた時、恐ろしい病気が起こった。しかし、お釈迦様は悟りの力によって苦しみを面にあらわさず、耐えられた。お釈迦様はこう考えられた「弟子にはまだ訓育が必要で、それが終わらぬうちに死ぬわけにはいかない。精進をしてこの病を耐え、生きよう」と。


37 お釈迦様は病を耐え、精進し、病は止んだ。お釈迦様は雨安居のための小舎を出て、その脇に作られた台に座られた。アーナンダはお釈迦様に申し上げた。


アーナンダ「私は、お釈迦様がご病気を克服するさまを見ました。私は混乱し、ちゃんと考えることができませんでした。しかし、お釈迦様は弟子の修業者に重要な教えを語らないで亡くなるはずはない、と思い直し、いささか心やすらかになりました」


お釈迦様「そうかアーナンダよ、それではいったい直弟子の修業者たちは私に何を望むのか? 私は直弟子に対しても、初対面の修行者に対しても、平等に法を説いた。アーナンダよ、救いの仏(如来)といわれる者は、教えの重要な鍵を、手に握って隠すようなことはしない。救いの仏(如来)といわれる者は「修業者たちを導いていこう」などとは思わないものだ。救いの仏(如来)という者は、直弟子の修行者たちにだけ、語ることなど更にはないのだ」


お釈迦様「そしてアーナンダよ、私は老い、衰え、老人となった。老齢に達し、80歳になった。例えばアーナンダよ、古ぼけた車が木に竹を継いで補修され、よろよろと行くように、私の身体もそのようになった」


お釈迦様「そしてアーナンダよ、感情の世界から瞑想の世界に入った時、救いの仏(如来)といわれる者はすこぶる健全なのだよ」


お釈迦様が自分自身を「80歳になった」とする部分は、文献的には貴重な部分らしい。


お釈迦様が老いの身体を壊れかけた古い車に例えるくだりは、通常「革紐の助けで」なんとか動く様にと訳されるが、ここは私の独断で「木に竹を継いで補修され」とした。


お釈迦時代の「車」というものがどういうものなのか、折にふれて調べているが、ちょっとわからない。


ー続く


■TOKYO雨季雨期/Apo-Macro-Elmarit-TL 60/f2.8 ASPH.Leica TL

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Commented at 2022-06-09 05:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kugayama2005 at 2022-06-09 09:50
うーん、ここはちょっと違うように思う。お釈迦様は、現世から去り、来世へ行くつもりだったのではないか。続きを読むとね。でも弟子たちがお釈迦様が現世にとどまるよう、懇願しなかった。これは死に際の問題で、リルケが「マルテの手記」で暗示していたように「パリでは死が病院にある」という違和感を思い出す。
by kugayama2005 | 2022-06-08 17:00 | 2022日記 | Trackback | Comments(2)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005