2022年 07月 07日
2022日記【187】境界と自由373
「お釈迦様、最後の旅」が、一応終わりました。
それでつらつら考えていたのですが、インドを眺めるのに、
1 北方の視点(イラン<ペルシア>→峠越え→北インド)
だけではなく、
2 南方の視点(エジプトやイラク<メソポタミア>→沿岸航海/後に大洋横断→インダス〜南インド)
の側面もちゃんと見てみよう、というわけです。
インド南端は、タミル人、タミル文化の地で、いくらお釈迦様でもそこまでは手が回らなかった(というかお釈迦様の遊行地は意外と狭い。しかしお釈迦様の弟子には南方人<いわゆるドラヴィダ人>もいたので、相当の知識はあったはず)。
紀元前2400年ころのバビロニアの指輪に、インド産のカーネリアン(メノウ)、アフガニスタン産のラピスラズリ(ルリ)が使われているが、これらの産地はペルシア湾を出てそれほど遠くはない(約1,500km<東京←→那覇相当>場所にある。
さらに、インド洋の季節風についての知見をもとに渡海術が発達すると、ローマ←→南インドの交易はとても発達した。また、ローマ帝国衰退後は、南インドから東南アジア、中国までの航路が活発化した。
ローマ←→インドの時代の初期は、大乗仏典が編まれ、キリスト教の福音が整備された時期と重なっている(ので相互に影響が及んだ)と平山朝治(筑波大学教授)氏は指摘する。
※私はイエスではなく、イエスに先行するパプテスマ(洗礼)のヨハネには、インドの知識があったのではと思う。
※そういえば今日7/7は、2005年にこのブログを書き始めた日です。
■TOKYO湾岸Summer/Apo-Macro-Elmarit-TL 60/f2.8 ASPH./Leica TL