2022日記【188】境界と自由374

承前: 


これらのことは「エリュトラー海(紅海)案内記」(無名のエジプト商人の記録)に記録されており、このエジプト人の(なんでも教えてくれる)気前の良さには感服する。


当時(西暦50年前後)の「紅海」とは、インドに至るアラビア海をも含めた名称


シルクロードのようにラクダや馬でぞろぞろ行くのは、きわめて効率が悪いのだ。ローマと結ばれている紅海・ペルシア湾←→インドがなんと言っても魅力だ。


そして、南方の視点は


1 イラク<メソポタミア>ペルシア湾沿岸航海インダス南インド


から、


2 ローマ支配下の<エジプト>アデン大洋横断南インド


へと変化していった。


東方の黒丸がアデン、約3,400km離れて西方の白丸がインドのムージリス(現在のケーララ州のコドゥンガルール)

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ペルシア湾ルートが衰退し、アデンルートが多く採用された背景


1 メソポタミアは、チグリス、ユーフラテス川沿いに街道が整備されていたが、奥地には有力者が割拠しており、通行者はそれぞれの場所で個々の高い関税を徴収されたり、掠奪されたりした。ナイル川のような水運の発達はなかった。


高い関税をかける地域は忌避されていた、ということは、適正な課税水準という一般的な合意があったわけだ。


2 ローマ帝国の干渉が、水運の結節点アデンにまで及んだ。アデンには輸出入二重の利益があった。さらに、アデン近郊から南インドにまで直行する航路が開発された。


■TOKYO湾岸SummerApo-Macro-Elmarit-TL 60/f2.8 ASPH.Leica TL

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by kugayama2005 | 2022-07-08 17:00 | 2022日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005