2022日記【230】夏の読書008

2022日記【230】夏の読書008


上田秋成と本居宣長。秋成が宣長の古事記研究を批判すれば、宣長に古事記研究を命じた賀茂真淵を批判することになり、ひいては真淵門下の四天王とまで言われた師加藤宇万伎との関係もあやしくなる。もちろん皆故人だが、生き残っている秋成は、天に向かって呪詛したのだ。


本居宣長は真淵に命じられた古事記研究を34年間続け、ついに死を前に完成させた。宣長は昼間は医師として働き、診療や売薬(※1)の日計をとって医業を締めくくり、夜は国学の研究に時間を過ごしたのだ。


上田秋成の呪詛は、そんな本居宣長に対するものではない。私の勘では、秋成は古事記に魅入られていたのだと思う。


上田秋成は「月や日に、目鼻があって人に見なしたのが古事記である。そんな説も田舎者なら信じるだろう。だが京都に住むわれわれがそんな説を聞くなどすれば、天皇様に申し訳がない」という。もちろん古事記は天皇の出自を述べたものだから、秋成の理屈はまったく成立しない。そもそも狐の魅術の実在を敢然と主張する秋成が、日の神、月の神を嗤うというのは?


だから私の勘では、秋成は古事記に魅入られていたのだと思う。秋成の妄想した「雨月物語」や「春雨物語」は、古事記と共通の日本的基盤から萌え出ている(雨月は半分漢心だが)。つまり「漢意(からごころ)」を一刀両断に否定し、「朝日に匂う山桜花」と「ほざいた」宣長は、本来なら秋成自身であるべきだったのだ。


(※1)本居宣長は小児薬を開発・販売してけっこう売れたらしい。京都で医業を学んだ際も、小児科に興味を寄せていたという。乳幼児の死亡率が極めて高かった時代、着眼点はなかなかだ。宣長は自分は商売に向いていないとし、家業(木綿問屋)を整理してしまったが、実務家だったことは確かだ。ただ店舗での仕事は向かなかったのだろう、江戸の支店での修行は早々に放り出している。


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by kugayama2005 | 2022-08-19 17:00 | 2022日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005
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