2022日記【233】夏の読書011

2022日記【233】夏の読書011


秋成の医業にたいする心構えと廃業のいきさつ


「肝大小心録69」上田秋成


わしの義父は商売人ではあるが、わし自身は放蕩者だから、財産を貯めることなどできなかった。(義父の死後)わしが38歳の時に、店が火事になり破産した。後は、わしは生活のため働く知恵もなかったので、医業を学ぼうと(家も無くなったので)田舎住まいをして医者の見習いをした。42歳で大坂市中に戻り開業医となったが、わしは知識も技術もない初心者だから、患者も寄り付かないとわかっていた。だが、医は心なりという言葉もあり、親切を尽くそうということを心構えとした。患者の症状に不審があれば、頼まれなくても、一日に二、三度も見に行った。自分の診断に迷いがある場合は他の医師に任せて、それでも日々見舞ったので病人も喜び、家族も好意をもってくれた。それで47歳の冬、近くに家を買いすっかり改築して、翌年転居した。270両ほどかかった(※1)が、借金や何やかやで出来たのだ。医者になる前に誓いをたてて(当時、医者がやりがちだった副業の)金融や太鼓持ち、仲人、骨董取引きはすまいと決めてしなかった。それゆえ(収入も少なく)持病の癇症(精神の不安定(※2))に苦しみ、55歳の春、医者をやめて近郊の村に隠居した。わしは畳に額をつけて、義母に「親不孝の罪この上ないこと」と謝罪した。義母は「さて、しかたないこと」と言って、妻の義母(※3)も一緒になって村の草庵に住んだ。5年経って義母は大坂の分家に遊びに行き、76歳、老衰で亡くなった。妻の義母もその1ヶ月前に亡くなった。わしも妻も心乱れて、妻は剃髪して尼になり「これん(瑚璉)」と称した。「これんとは一体どういう字を書くのか?」と聞くと、妻は「字なんかはどうでもいいこと。お前さんが私を『これこれ』と呼ぶのに都合がよさそうだ」と答える。


※生没年

上田秋成17341809

妻瑚璉尼17401798


(※1)江戸時代の1両は現在のいくらくらいか、というのはよくある疑問だが、日銀貨幣博物館によると米価の比較を基準にすれば、江戸中期で46万円になるという。秋成は自宅の入手と改築で1,000万円以上使ったことになり、多くは借金だったのではないか。医師の廃業の背景に、この時の借金があるという説もある。


(※2)秋成は小児の時から癇症だったと書いている。癇は現在でいう神経症(ノイローゼ)や解離性障害。江戸時代中期には日本の精神医学も形成されつつあった。


(※3)秋成の妻(たま=尼となっては瑚璉)も、秋成と同じく養子だった。秋成は、二人の老義母を引き取って草庵に暮らした。


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by kugayama2005 | 2022-08-22 17:01 | 2022日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005