2022年 09月 21日
2022日記【263】本居宣長2
■本居宣長「古語拾遺疑斎弁」(こごしゅうい/ぎさい/べん)
この文書は、本居宣長が「疑斎」という文書に反論をしたもの。「疑斎」とは、日下部勝美(くさかべ/かつしか)という人が「古語拾遺」を批判的に書いた論文。日下部勝美とは実は奈佐勝皋(なさ/かつたか)という幕臣の学者で、1792年には塙保己一(はなわ/ほきいち)創設の「和学講談会」4人の初代会頭の内のひとりになっている。
日下部勝美(奈佐勝皋)が「疑斎」を著したのが1773年ということだが、それについての反論を本居宣長がいつ書いたのかは不明。
さてそれでは、論争の元になった「古語拾遺」そのものについて。
ー続く
※
日下部勝美=奈佐勝皋(1745〜1799)
本居宣長(1730〜1801)


