2023日記【232】境界と自由743

◼️慶応2年(1866年)武蔵大打毀し/「冑山防戦記」(安藤野雁)7


承前:

武蔵大打毀しの背景には、米価の高騰※があり、さらには農民の養蚕・製糸業が事実上「浜商人」(貿易商)の下請けになってしまったということもあった。一揆衆による打毀しの対象は、高利貸しに次いで「外国売買の商人」と指定され、問答無用に打毀す対象とされた。

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米価の記録/昭島市デジタルアーカイブス(右の数字が天明4年基準の上昇倍数)一般的に慶應年間の米価高騰の背景は、幕府の長州遠征と言われている。

  •     1784天明4年      1
  •     1837天保8年      2
  •     1865慶應1年      2.5
  •     1866慶應29月   3.6
  •     1867慶應31月   4.8

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◼️埼玉県「鶴ヶ島市立図書館/鶴ヶ島市デジタル郷土資料」による(秩父市岡家)文書を引用する。

・「横浜向け商人は大小に限らず、打潰(ぶつつぶ)し候」

・️「横浜へ乱入致し、国病の根を断ち、万民安穏の心願と申す事に御座候」

 この一揆で打ちこわされた浜商人39人のうち、当地(鶴ヶ島)近在の者は次のようである。

 高麗郡鹿山の機渡世・薪伐出

 入間郡小谷田の糸屋

 入間郡扇町屋の生糸・酒造

 入間郡所沢の糸屋・浜商人

 比企郡平の太物・質屋・荒物

 比企郡玉川の生糸改会所(?)・質屋

 比企郡日影の生糸肝煎・紙漉渡世

 (以下省略)

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それはともかく「横浜へ乱入致し、国病の根を断つ」と明記されている。明確な戦略目標があったわけで、冑山で安藤野雁が遭遇した一揆衆が、入間郡から一直線に北上して来たのも、中山道熊谷宿から横浜に向かう勢いだったのだろう。ここで疑問なのは、彼らが通った日光脇往還を逆方向に行けば八王子に出るわけで、中山道経由よりずっと短距離だ。しかし、八王子は江戸幕府の直轄地で「八王子千人同心」というとんでもない武装組織が常駐していたわけだから、通過は不可能。

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八王子から町田方面・横浜に向かう「浜街道」(輸出用生糸が運搬された)/八王子市の解説サイト

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※1908年に八王子東神奈川間の鉄道(現在の横浜線)が開通したが、もっぱら東海道線経由が使われたらしい。














by kugayama2005 | 2023-08-20 17:00 | 2023日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005