2023年 10月 01日
2023日記【274】境界と自由785
承前:
5 パリ万博(外遊)27歳
1867年、幕臣を辞退しようと思っていたその時、急にパリ万博式典に徳川昭武(斉昭の息子)が出席することになり、その補佐役を命じられた。ナポレオン3世に謁見し、ヨーロッパ歴訪、さらにその後数年間遊学し、フランス語などを習得しようという計画だ。渋沢栄一は「その嬉しさは例えようもなかった」と率直に述べている。ところが、翌年、大政奉還がなされて、渋沢はパリ遊学が計画通りに続けられるよう粉骨砕身するが果たせず、帰国すると日本は明治になっていた。その後の大蔵省での制度改革、大蔵省を辞職後の実業界での活躍はよく知られることなので、ここでは触れない。
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↓ パリ万博の一行(渋沢栄一は後列左端。Wikipediaに名簿が載っている)