2023日記【292】境界と自由803

熊沢蕃山【年譜・晩年】

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1683年(天和3年) 堀田正俊(幕府老中〜大老)に招かれ江戸へ行く(行かなかった説もあるらしい) ※ 翌年夏、堀田正俊が江戸城内で刺殺されるという怪事件が起こる。もし堀田が蕃山に好意を持っていたとすれば、蕃山も危機だった<64歳>

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1685年(貞享2年) 前年から京都に出没し、夏、岡山に帰る。幕府批判の書簡を息子に送る。著書複数<66歳> ※息子とは野尻継義(松平信之の家臣)熊沢継安(郡山藩本多家臣)のふたり。松平信之はこの年、幕府老中となり、下総古河に転封となる。翌年、病死。松平信之は明石、郡山、下総古河と転封しており、その間、一貫して熊沢蕃山を保護しているばかりか、息子も受け入れていることになる<66歳>

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1686年(貞享3年) 岡山と京都を行き来する。著書を複数。三男が大和郡山、四男が下総古河藩に仕官する<67歳>

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1687年(貞享4年) 岡山と京都を行き来する。下総古河に招かれ事実上軟禁される ※前年、一貫して蕃山を庇護してきた松平信之(下総古河藩主)が逝去。息子の忠之が藩主となっていた。この年「生類憐みの令」<68歳>

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1789年(元禄2年) 著書あり<70歳>

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1790年(元禄3年) 下総古河での門人が京都に行き、蕃山の近著を在京の門人に伝える<71歳>

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1791年(元禄4年) 著書あり。夏、蕃山逝去。<72歳>

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年齢は単純に年号を足し上げただけなので、満年齢に近くなるが、事項の発生した月日が正確にわからないためあくまで目安。

古河城跡付近(渡瀬川左岸)茨城県古河市中央町3丁目GoogleMap

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by kugayama2005 | 2023-10-19 17:00 | 2023日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005