2024日記【023】境界と自由904

承前:

井原西鶴は今もって謎の多い人物なのだ。酒を飲まない男だったという。その点、上田秋成が似ている。秋成は西鶴を意識している、才能が追いつかないだけだ。


私の暗察によると、編集出版の企画者で、ひとり何役もこなし、晩年は弟子も動員して書きまくったのだ。だから、西鶴の文体や表現を分析して、この作品は西鶴が書いたの書かないのと論争するのは時間の無駄だろう。


そのことを踏まえて「近代艶隠者」問題を少し考える。結論から言うと、檜谷昭彦/「近代艶隠者と西鶴」/1989/慶應大学学術情報リポジトリ/の、西鶴が中世文学の読み取りによって「隠者」の再生を試みていた、という説はかなり文学的にすぎるのではないか。


「近代艶隠者」は出版プロデューサー西鶴が新しいジャンルに興味を持った、ということで、もちろん情熱を傾けたものではあったが、「隠者」にのめり込んだわけではない。


↓ 井原西鶴終焉の地の碑は、谷町筋にあるが、西鶴自身は自宅を鑓屋町と書いている場合もある。それはおそらく鑓屋町と谷町は背中合わせで、いわゆる「太閤町割」なのだ。西鶴は鑓屋町側と谷町側の二軒をつなげて使っていたのではないか?

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by kugayama2005 | 2024-01-23 17:00 | 2024日記 | Trackback | Comments(0)

君の名前の意味を聞いたら “山のきつね” まき毛はいかんせん狐色 瞳は草の緑をうつす好奇心。


by kugayama2005