2024年 01月 26日
2024日記【026】境界と自由907
2024日記【026】境界と自由907
承前:西鶴の書簡は数通しか発見されていないらしいので、前後の真相は不明だが「このごろの俳諧の風情、気に入り申さずゆえ、やめ申し候」(適宜翻訳)は、相当深刻なことだろう。
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西鶴は浄瑠璃はうまくゆかず、俳諧もやめた。「好色一代男」は大いに売れたものの、後続は好色の繰り返し。転機と見て「諸国物」「商い物」と企画を変えた。その過程で、西鷺軒橘泉/「近代艶隠者」/1686年(貞享3年)が西鶴の手で編集刊行される。
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1687年(貞享4年)西鶴は、自著「懐硯」を刊行する。これはその前年の「近代艶隠者」への西鶴のアンサーだったと思う。西鶴は5年ぶりに現れて「艶隠者」になっていた友人(西鷺軒橘泉)に、強く共感したのだろう。さらに、その前後、命を縮める旅を繰り返し、俳句表現を磨き続ける松尾芭蕉への屈折した敬意もあるはずだ。