2024年 02月 09日
2024日記【340】境界と自由921
◼️ケンペル「江戸参府旅行日記」(元禄4〜5年)2
◼️出版事情
西鶴本出版のスピードから考えても、相当の出版物が流通していたことは推察できる。ケンペルの旅行記にも度々書物について報告されている。
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1「町には時折通りの端から端までたくさんの小売店が続いており、たいへん驚いた。こんなに多くの売り手があり、消費者もいる」<主要な街道で見たことの総括的な説明>※直接触れられてはいないが、このような商店街に本屋はあったと思われる
2「京都は工芸、手工業、商業の中心地だ。銅の精錬、貨幣の鋳造、書籍の印刷、織物、彫刻、染色、楽器制作、描画、指物、彫金、刀鍛冶。こんなにたくさんの商品に買い手が集まってくることに驚く」<元禄4(1691)年2月21日/京都>※この時期、商業では大坂が京都を凌駕している面があったが、ケンペルは大坂は詳しく見ていないようだ。