2024年 02月 15日
2024日記【046】境界と自由927
承前:
ところで、芭蕉はどうやら結構オランダ人に関心があったようなのだ。芭蕉(青桃)延宝6(1678)年の句に次のものがあるという。
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◼️甲比丹もつくばはせけり君が春
(かぴたんも つくばはせけり きみがはる)
「つくばはせけり」の「つくばふ」は「突く這う」で、現代でも「這いつくばう」などと言う。「君」は将軍であろうから、「オランダカピタンも平伏させた将軍の春」という意味か。芭蕉も、春爛漫とオランダ人見物の風聞を楽しんでいる。
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延宝7(1679)年には
◼️阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍
(おらんだも はなにきにけり うまにくら)
前年に同じく、春爛漫とオランダ人を配している。
※参考<「花咲かば告げよといひし山守の来る音すなり馬に鞍おけ」源三位頼政>
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江戸参府オランダ人一行が宿泊するのは、江戸では長崎屋(日本橋本石町三丁目の薬種屋)で、オランダ人見物の人垣ができたらしい。ということはつまり、オランダ人は珍しいものの、江戸人にとっては年中行事で「ああ今年もオランダ人の時期になったか」という季節の風物だったのかもしれない。↓ 北斎「画本東都遊」長崎屋/享和2(1802)年刊/芭蕉の頃から120年も経っているが、オランダ人気は衰えず。右から2人目の人は、咲いた桜の枝を持ってオランダ人に見せているのだろう。
